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2018年05月13日

(世界)それは自分を取り巻く水のよう。あなたがその中で動く時、それはあなたの形にフィットするように自身の形を変える… 水(世界)の中では飛ぶ事だってできるという事を忘れないで。(World) It's like water surrounding you. When you move in it it changes its shape to fit you… Remember, you can even fly in the water (World).

My Favorite Quotes : 共感する言葉だったり、気持ちいいくらいに代弁してくれる言葉だったり、自分を形造る言葉だったり、やる気やパワーをくれる言葉だったり、元気にしてくれる言葉だったり、心に響く言葉だったり、救われる言葉だったり、クスっと笑わせてくれて気持ちを晴らしてくれる言葉だったり、ググっとくる言葉だったり、勇気づけてくれる言葉だったり、伝えたい言葉だったり、贈りたい言葉だったり… そんな大切にしたい言葉 ゚・*:.。. .。.:*・゜



キラキラCaned Soup iconキラキラ 今日の言葉 キラキラCaned Soup iconキラキラ


(World)It's like water surrounding you. When you move in it, it changes its shape to fit you. But if you move in haste/fear, you feel pressure like the resistance of water. So you need to relax and move freely with confidence, without rushing or fear, then it follows your move softly. Be free to want and do whatever makes you happy, to express [Love=God] within you; The world changes its shape for you naturally. Remember, you can even fly in the water(World).
- Lico
the owner of this blog

World It's like water surrounding you When you move in it it changes its shape to fit you Remember you can even fly in the water  Lico Dreams Confidence Ultimate Freedom LOBA The Law Of Being Attracted ウミガメが水中を飛ぶ・滑空するように泳いでいる背景画像

“(世界)それは自分を取り巻く水のよう。あなたがその中で動く時、それはあなたの形にフィットするように自身の形を変える。しかし、もしあなたが、焦ったり、急いだり、恐れながら動くなら、あなたは水の抵抗のような圧を感じる。だから、あなたはリラックスして自由に自信を持って、焦ったり急いだり恐れることなく、動く必要がある、その時それは柔らかく動いてあなたの動きに付き従う。自分の中の【愛=神様】を自分の体を通じて表現するために、何でも自分を幸せにするものを望んで、何でも自分を幸せにする事をして、自由になりなさい; 世界は自然とあなたの為にその形を変える。水(世界)の中では飛ぶ事でさえできるという事を忘れないで。”
- Lico







自分を含めてこの世界に存在するもの全ての中に神様はLove 愛を持たせています。聖書では『God is Love 神様は愛である』と言われてるから、この世界の全ての存在(人も動物も自然も物も出来事も)は、その中に神様がいると言い換える事ができます。この世界に存在するものは全てが、それぞれ(個)と世界(全)の両方の進化の為に敢えて互いが異なるように創られています。その為、それぞれが何を愛するか、何を好きになるか、それによって何を選ぶのかは、それぞれ異なり、その違いによって世界(全)が完璧を成すように神様によってきちんと管理されています。つまり、自分が何を「好き(愛する)」かは神様によってそれによって自分が生まれた時から(それよりも前から)決められていて、それによってそれぞれが果たすべき役割が決められているのです。

従って、自分が自分の内面に湧き上がる、それをやったら、それを経験したら、自分が幸せを感じるような、自分のLove 愛に基づく「好き(愛する)」という感情・感覚に、素直に従って、それを選びとり自分の体を通じて(今の自分にできる範囲でいいから)それを経験することで、自分の内面にあるLove 愛を表現すること、つまり、自分が好きなものを好きと言って、それを他者に伝えたり表現したり手に入れたり経験したりして様々な形で実現し形にしていくことが、すなわち、【自分が自分らしくあることが自分の使命】であり、自分が自分として生まれて来た役割を果たすという事なのです。

『この世界に起る全ては必然である』 - 自分も含めてこの世界に起る全ては、太古の昔に神様によって書かれたシナリオに従って全てが(神様にとっての)完璧なタイミングで完璧に起っていて、全ては一つひとつの存在それぞれ(個)と世界(全)の進化の為に必要がある(重要で必要不可欠な意味がある)から、神様のシナリオ上でずっと以前から既に起こる事が決まっていたために起こっている必然です。必然であるため - 人間(個・分離していると信じ込んでいるEgo エゴ)が、どんなにそれに「無駄なもの」「邪悪なもの」「邪魔なもの」「危険なもの」「問題」などという「ラベル」を貼ろうとも、そんなものとは関係なく、神様にとっては - 無駄な事は何一つ起っておらず、無駄なものなど何一つ存在しておらず、全ての存在も出来事も個と全の進化の為に(この先のより大きな幸せ、次のレベルに辿り着く為に)必要があるから存在し起こっている「欠かす事が出来ない」要素なのであり、その為、それを排除したり避けることは出来ず、また、排除したり避ける必要もないものなのです(その存在や出来事が起こらなければ、その先の進化・より大きな幸せ・次のレベルに辿り着く事は出来ない、というような必要不可欠な要素であるから)。

従って、自分が何を「好き(愛する・愛)」なのか、そして自分が感じるそのLove 愛に基づいて何を「やりたい」と望むのかに対して、罪悪感を感じる必要はなく、何を「好き(愛する)」で、それ故にその愛を形にしようとして行う如何なる言動(自分が「やりたくない」と感じるため「やらない」つまり「自分に自分が愛せない事をやらせない」という選択も含めて)に対しても、罪悪感を持つ必要はないのです。自分が「好き(愛する)」で選ぶものや「やる」事が、例え他人にとっては理解できないもので他人がそれを好きでなかろうと、私たちは元々敢えて異なるものを好きになり異なるように創られているのですからそれは自然な事であって、「人が解ってくれない」などと悲しむべき事でもありませんし、同時に、他者がそれを「好き(愛する)」ではない事も、その存在がそれではない他の何かを「好き(愛する)」になり選ぶように創られただけである(つまりそれを好きになったという事は、それは自分の為のものであり、それを好きにならない人にとっては、それはその人の為のものではないという事です)から、他人が自分が好きなものを好きでない事で相手を否定する必要もなく、他人に自分が好きなものを好きになってもらおうとする必要もないですし、それを好きな自分を理解してもらおうと説得したり証明したりする必要もなく、自分はただ自分が愛するものを愛していけばいいのです。そう言う姿勢で居る自分に対して、誰かがわざわざ自分の好きなものを否定したり攻撃してきたり、その人間が好きなものや正しいと信じるものを自分は好きになれないにも関わらず好きになれとまたは選択しろと強要してきたとしたら、それはその相手がEgo エゴのFear 恐れによって「自分の愛するものを愛する」という極めてシンプルな「自分の使命」を見失っていて、「愛=神様」主導の思考や行動ではなく「恐れ=エゴ」主導の行動を選んでしまっていて、それによって自分で自分を引き摺り下ろしている最中であるというだけの事(その人のための神様のシナリオ上で、その人はそこで「恐れ=エゴ」を選ぶ事によって自分を引き摺り下ろし、それによって苦しみを経験する事でその地点で学ぶ事が有るという必然)であり、その人がその人自身の人生をどう歩もうと、本来は、自分の人生や自分の「好き(愛)」な事には何の影響を齎す力のないもの(自分がそこに「問題」と言うラベルを貼って意識を強力に向けない限りは、それは【It's just happening. それはただ起こっているだけ】の「神様の完璧」の一つでしかなく、自分にとっての「問題」でもなければ、自分が変えようとしたり解決しようとしたりして思考を巡らせたり手を打たなければならないものではない)なので、悪意や敵意を向けてくる人や攻撃してくる人の事は放っておいて(神様 - それぞれの為の神様のシナリオに任せておいて、放っておけばいい)、自分は【自分と自分の愛するものを愛して「幸せ」に感じる事】という自分の使命を果たす事に戻ってそれに集中して「幸せ」に感じていればいいのです。あくまでも、【自分のことや自分が好きなものを他者が好きである必要もないですし、他者が自分のことや自分の好きなものを好きじゃなくても自分もそれを気にする必要などない】のです。この世界の全ての存在は(人も動物も自然も物も出来事も)それぞれが、このようにして限りなく【自由】であり、自分以外の存在も自分が自由であるのと同じように【自由】を尊重されるべきものなのです。

ありのままを受け入れる。

Everything happens for a GOOD reason. 全ての事は良い理由があって起っている事】であり、【Everything is perfect as it is in every moment, in God's eyes. 全ての事は毎瞬あるがままで完璧である、神様にとっては】ですから、この世界の存在も、自分やこの世界に起る全ての出来事も、この先の進化の為に必要不可欠な「必然」であり - エゴ(個・分離)と世界(全・一体)にとって進化を齎すための「神様の愛」です - それが例え、Ego エゴである人間にとっては「問題」のように見えたり「失敗」のように見えたり「無駄」のように見えても - 神様にとっては完璧であり、「問題」も「失敗」も「無駄」も一切起ってはいないのです。つまり、全ての存在と、起っている全ての名前は「神様の完璧」であり、その属性も「神様の完璧」でしかなく、この世界にそれ以外のものは本来存在していないのです。これが以前にもブログのどこかで説明した、Nonduality 非二元・ノンデュアリティであり、この世界には「神様の完璧」とか「神様の愛」という「完璧」なもの以外は存在していないため、Ego エゴ(個・分離)がそれに対して、優劣、上下、勝ち負け、美醜、善悪、などと二元性の「ラベル」を勝手に貼って、それに準じた言動を起こそうとも、それら一切、神様にとっては「君たちは限りなく【自由】だから別にやってもいいけど、(全ては完璧なのだから)それらは別にやらなくてもいい事(やる必要のない事)だから、無理したり我慢したり自分を犠牲にしたり苦しんだりして(「恐れ=エゴ」によって自分を引き摺り下ろして)までやらなくてもいいのに」というものです。人間は生活しやすいようにコミュニケーションがとりやすいように - 便宜上 - 全てのものに「名前」を付け、全ての状態に「名前」を付けたのですが、それはあくまでも人間が勝手につけた「ラベル」でしかなく、全ての物事の本質は【神様の完璧】【神様の愛】である事に気付く必要があります。

例えば、人は神様から何を「好きになるか(愛するか)」を決められていると書きましたが、神様にとっては「それを好きになる」だけを自分に望んでいるのであって、「それ」の反対側のものや、「それ」の基準に満たないものを「嫌いになりなさい」などとは望んでいないのですが、Ego エゴ(個・分離)は「好き(愛)」になれないものに「嫌い」というラベルを貼り、避けようとしたり排除しようとしたり変えようとしたりするのですが、それはEgo エゴが勝手にしている事で、別に神様に課されている訳でもなければ、個(エゴ)と全(世界)の進化のために必要不可欠な事と言う訳でもなく、本来は、そんな事をしてわざわざ悩んだり、心配したり、戦々恐々としたり、戦ったりして、自分を消耗させる必要などないものです。このEgo エゴの無駄な習性から自分を解放するには、全ての物事の本質は【神様の完璧】【神様の愛】である事に気付き、全てのありのままを受け入れ、自分が「好き(愛する)」ものを何にも囚われず恐れずに思いっきり【自由】に選び取り、自分の「好き(愛)」の基準、つまり「自分の基準」満たないものは、ただ「自分はそれを選ばない」という選択を堂々として、あとは、Judge ジャッジして「名前」「ラベル」を付けたりせず、それを変えようとせず、それに対して策を講じたりせず、放っておけばいい(ありのままを許す)のです。一人ひとりの人間が本来するべき事も、できる事も、これだけであり、これほどまでにシンプルなものです。にも拘らず、人間にとって人生をこれほどまでに「無駄に」複雑にしているのは、Ego エゴがFear 恐れを煽る事が原因であり、【恐れ=エゴ】が全ての元凶です。ですから、自分の「恐れ=エゴ」も他人の「恐れ=エゴ」も、単に雑音でしかなく、そういう【雑音に耳を貸さない(自分の内面に「好き」とかそれに伴って「やりたい」という形で湧き出る【愛=神様】だけを信じてそれに付き従う)】と、しっかりと明確に自分の中で決める事が必要であり、自分がDecide 決めるのであれば、それが叶った未来は既に存在しているというPreview 予告を見たという事ですから、途中紆余曲折あれど、必ず、それはやがて自分のものとなります(God wins in the end. 神様は最後には必ず勝つ)。

Ego エゴは、魂を体という器に入れられた事で自分が全体から分離していると勘違いしているために、自分ひとりで全てをコントロールしなくてはいけないと思い込んでいる個としての自分です。エゴは自分のごく一部でしかない(それ以外の限りなく大きな部分は【愛=神様】である)のですが、一般的にはこのエゴを自分の主体と勘違いしてエゴ主導で生きています。幾度となくこのブログではお話してきましたが、エゴはあくまでも自分の一部、自分自身であるため、完全に排除する事はできませんし(最終的にはエゴが、自分は全と一体であったと思い出し、一体としての思考ができるようになるが、無くなることはない)、抵抗したり手なずけようとしたりして戦っても勝ち目はありません。ですからこういった精神性の話しに於いて『Ego エゴを手放すことが重要』と言われるものの、同時に『Ego エゴとは決して戦ってはいけない』と言われるのです(戦っても構いませんが散々苦労した挙句に骨折り損に終わるだけです)。そこで、Ego エゴに直接意識を向けずに、【Love yourself. 自分を愛する】事に集中していけば、前回もお話しした通りの経過をたどって、【True Self-Worth 自分の本当の価値】に気付き、それによって自分が生まれた時から神様に与えられていたBirthright 生得権である【Ultimate Freedom 究極の自由】に気付き、その頃には、「自分の外側」の要素とは全く関係なく(つまり相対的ではない)「自分の内面」で自分によって育まれた【Absolute Confidence 絶対的な自信】(自分と神様との間の信頼)を持てるようになっている為、「自分の内側」に神様から送られてくる自分の「好き(愛)」という「(神様が自分に与えた)自分の基準」に合わない・満たないものを自分でわざわざ選んで自分に与え、それについて考えさせたりそれを経験させる事によって自分で自分に「不快」な気分を味合わせること自体が、自分による【自分に対する裏切りである】【自分に対する侮辱である】という事を理解する為、自分のものであれ他人のものであれ【Ego エゴ】の虚言に耳を貸すこと自体が自分にとって有り得ない事となり(Ego エゴのFear 恐れから生じる「不快」な事全ては、少なくとも今の時点に於いて「自分の為のものではない」という事であり、そうした「(神様が自分に与えた)自分の基準」に合わないものを自分に与える事自体が、自分に対する裏切りであり、(神様が与えた高い価値を持つ自分にとって)そんな事はあってはならない事となるため)、わざわざEgo エゴと向き合わずとも気が付けばエゴなんか軽く飛び越えてしまっている状態になるからです。

この【Absolute Confidence 絶対的な自信】は、「自分の内面」で自分と神様の間で育つものであり(自分と神様との間の信頼関係でもある)、「自分の外側」の状態や他人や状況や環境などの「自分の内面」にあるもの以外の条件を一切含まない為、他人の意見や状況や環境などの条件の変化によって揺るぐ事も傷つけられることもない、絶対的な「不動の自信」であります。それは、Ego エゴの範疇でどんなに自分に自信のあった人でも味わった事のない程の規模のConfidence 自信となります。【True Self-Worth 自分の本当の価値】も同様に、自分と神様の間の事であるため、「自分の外側」の要素によって変動する事も左右される事もない絶対的なものであり、【Ultimate Freedom 究極の自由】も神様が自分に与えた限りない【自由】でありそれはBirthright 生得権であるため、本来は、自分以外の誰も(例え親でさえも)奪う事の出来ない、自分以外の要素に左右される事のない絶対的な権利です。ここで少し【Confidence 自信】というものに対してお話ししておこうと思います。世の中では偶に他人に対して「根拠のない自信」と言って馬鹿にするようなやり取りを見かけますが、今の私がエゴの範疇から出た立場で言えば、「根拠のある自信」の方がよっぽど不安定で頼りないものであり、「根拠のない自信」を持つ事の方がずっと強い心を要しますから、「根拠のない自信」を持つ者はどこかのEgo エゴ(他人)に馬鹿にできるような存在ではないという事です。もう少し詳しく説明すると、【自信というのは自分を信じること】です(気付いていない人は多いと思いますが、実は「自分を信じる」という事は、「自分の中の神様を信じる」という事に繋がっています。そこに気付けば、個であるエゴとして不可能と思える事も、不可能ではないという事に気付くことができます)。Believe 信じるというのは、特に、信じることを何があろうと変わらずに貫くことは、Love 愛が無ければできないことです。つまりしっかりと自分を愛していなければ、自分を信じることはできないのです。所が多くの人の場合は、自信は目に見えるものに依存しています。目に見えるもの、すなわち、「自分の外側」の要素です。他人からの評価、成績、ランキング、友達の数、持ち物、肩書、収入、出身校名、所属している会社の名前、容姿、親の資産、今の時点で表現できている能力の一部など、自分の目からもしくは他人の目からも見えるもので測られていて、それは(これも繰り返しこのブログ内で説明されている事なので、詳細については右サイドバーから過去記事を検索して下さい)見る人が変われば、場所が変われば、時間が変われば(経てば)、あっけなく変動するものであり、自分の「幸せ」に対して何の保証も齎さないものです。そんな不安定な要素を「根拠」として自信をそんな単なる「ラベル」でしかないIllusion 幻想に依存させるから、簡単に人に傷つけられたり、奪われたり、状況の変化や、年齢の変化や、海外など全く価値観の違う場所で暮らす事になった際などに揺らいでしまうのです。一方で、「根拠のない自信」は、目に見えるものに自分の自信を依存させていないため、「自分の外側」の外的要因に左右されない「不動の自信」と成り得るものです。「根拠のない自信」を本当に持てるのであれば、それは目に見えるものに依存させた「根拠のある自信」を持つよりもずっと心を強く持たなくてはできない事であるため、その強い心(何が見えていようと自分をひたすらに信じることができる自分に対する強い愛)は必ず、神様の後ろ盾と追い風を得るため、途中紆余曲折があろうとも、やがて必ず、Ego エゴ(個・分離)の想像を遥かに超える恩寵を齎します。アメリカを初めとする欧米の多くの国では、数々のQuotes クオートにも表れているように、既に、「自信を持つのに根拠が必要である」という思考から脱している人は多く、『自信を持って自分に正直に【自由】に選択をし自分らしく在りなさい』、『自信とは自分が決めるもの』、『自信がないなら、あたかも自信があるかのように振る舞う所から始めなさい』というような言葉で互いにインスパイアし合っています。それに対して、誰かが自信を持っていたら、『天狗の鼻を折れ』『出る杭は打て』と言わんばかりに「それには根拠があるのか」と質したり、根拠に自分が納得できなければ相手を馬鹿にしたり、寄ってたかって攻撃したりして足を引っ張る風潮の未だ残る日本では、精神的な自由度が低く、それぞれが高く飛翔する事が出来る存在であるにも関わらず低い地点で互いに縛り合い、互いにそれぞれが【自由】に高みに飛び立つ事を許さないのは、非常に勿体ない事だと感じます。欧米では、人々に良い刺激を与え、勇気を与え、鼓舞するようなインスピレーショナルな(インスパイア)するためのQuotes クオートがどこにでも溢れています(もちろん玉石混淆ですから、その中から価値ある良いものを選び取る能力、見極める目が必要となりますが)。彼らは、そういう自分をインスパイアするような言葉を、インテリアとしておうちに飾る習慣もあり、彼らにとってはとても身近なものです。海外ではインスピレーショナル・クオートはそういった位置づけですから、どんな種類のソーシャルを覗いても、海外のアカウントからは普通の人のアカウントからも有名人のアカウントからも必ずと言っていいほど誰かが誰かをインスパイアしようとしてアップしたInspirational Quotes(Bible Verses 聖書の引用を含む)が流れてきますが、日本のアカウントからは(名言アカウントは別として)、個人のアカウントからも成功を経験していてある程度の影響力を手にしている有名人のアカウントからでさえも殆ど発されているのを見ることはないというのが現状です。

これも繰り返しお話ししている事ですが、自分の中に湧き出てくる「好き(愛)」は神様からの進むべき道を教えられているサインであり、それは一人ひとりちゃんと管理されているため、誰かが凸を選べば、凹を選ぶ人が居て、それらを合わせて世界は完璧を成しています。それと同じように、神様が与えた【この世界の完璧さ】や【Ultimate Freedom 究極の自由】に気付ける者と(少なくとも今はまだ準備ができていないが、この先で気付く予定になっているため)気付けない者もちゃんと管理されていますから、それをどんなに気前よく発信しても、問題などには成りようがなく、気付ける者は気付き、気付くタイミングに無いものは気付かず(だから強要する必要はない)、ただ世界はあるべきように完璧を成しながら進化していくだけです。「みんなが同じものを求めたら、それが枯渇してしまうのでは?」とか「誰かが成功したり幸せになったら、自分の分の幸せや豊かさが減るのでは?」とか、そんなちっちゃくて下らないEgo エゴ特有のFear 恐れからの心配などする必要が無いほどに、神様のシナリオは完璧ですから、それぞれが限りなく【自由】に自分の中に湧き出る「好き(愛)」に基づいた「やりたい」と感じる事をして自分と自分の愛するものを幸せにしていけばいいのです。これも海外のクオートでは言われている事ですが、本来「幸せ」とか「成功」とは非常にPersonal 個人的なものです。何故なら、本来は(「恐れ=エゴ」によってこの部分を誤解している人も多いと思いますが)、自分にとっての「幸せ」も「成功」も、自分の中に神様から送られてくる形で感じる「好き(愛)」に基づいて生じる「自分の基準」によって決まるものであるため、私たちは元来【個と全の進化の為に敢えてそれぞれが異なるように創られた】のですから、他人の定義する「幸せ」や「成功」と同じである必要などなく、他人がそれをどう思おうとどう評価しようと【自分がそれを幸せ・成功と感じる】のなら、それこそが【自分にとっての幸せ・成功である】わけです。他人を含めた「自分の外側」のいかなる要素も全く関係ない所で、自分が「自分の内面」で感じるものです。他人を含めた「自分の外側」のいかなる要素も全く関係ないため、他人がそれについて優劣を付けたり成否を論じたりする権利を持たないのと同時に、Bible 聖書では「Don't brag about yourself. 自分の事を自慢をしないこと」と言われています。その位、自分の「幸せ」も「成功」も「自分の基準」によって決まるものであり、極めてPersonal 個人的なものであり、そのため、他人と比較する必要もなければ、他人に認めさせようと証明する必要もなければ、他人がとやかく言う権利もなく、同様に、自分以外の誰にも奪う事の出来ないものです。自分の「幸せ」も「成功」も、自分の中に神様から送られてくる「好き(愛)」というサインによって示される「自分の基準」によって決まり、これもまた神様が個としても全としても完璧に管理している為、誰かが「幸せ」になったり「成功」したりする事に対して危機を感じる必要などなく、誰かが「幸せ」になったり「成功」する事を阻む必要もないのです - つまり、焦る必要もなければ、嫉妬する必要もなく、人の足を引っ張る必要もなければ、戦う必要もない、すなわち自分の手を汚す必要など一切ないのです。神様は、日本の公立の小学校の成績表のような極めて浅はかで粗悪な基準によって(五段階評価で、5を取れるのは全体の何パーセントと決まっていて、5を取れる要素を兼ね備えていても、その割合をはみ出せば5を貰えない。これは子供の「自信」を育むチャンスを台無しにしたり子供の限りない「可能性」の芽を摘むような真似までして大人が楽するための単なる手抜きとしか言いようがない無責任なものです。だから、成績や受験の合否のような「自分の外側」の要素なんかに【自信】を依存させてはいけない - そんな事をしていてはいつまでたっても【自信】なんか育たないから)、「幸せ」になれる人や「成功」出来る人や、その割合を決めているのではないのですから、誰かが「幸せ」になったり「成功」したら、自分が「幸せ」になったり「成功」出来ない訳ではないし、自分の「幸せ」や「成功」が減るわけでもないのです。つまり、「恐れ=エゴ」から自分の「幸せ」や「成功」 - その恩恵や、その為の情報やインスピレーションなど - を独り占めしようとする必要はなく(同時に、受け取るに値しない・準備のできていないものに受けとれと強要する必要もない)、誰かが「幸せ」になったり「成功」してもそれは自分の「幸せ」や「成功」とは関係ないもので自分の「幸せ」や「成功」を脅かすものではないですから、自分の事のように喜んであげる(自分が「愛=神様」を発するチャンスにする)なり、自分とは関係ないものとしてスルーする(放っておく=ありのままを受け入れる。どちらも「愛=神様」の属性)なりするだけでよく、わざわざ「恐れ=エゴ」を発して自分の手を汚してまで、「相手の足を引っ張っているつもりでいるのに結局は自分で自分を引き摺り下ろす行為」などという何の役にも立たない事をする必要はないのです。

だとすれば、他者(人でも動物でも自然でも物でも出来事でも)を縛り【自由】を奪う必要がどこにある?

だとすれば、自分の「幸せ」や「成功」に関する情報やインスパイアする言葉を分け与えて上昇する自分と一緒に自分以外の人間も高みに連れて行こうとしない理由がどこにある?

そんなもの初めからどこにも無いのです(Ego エゴには在ったように見えていたかもしれないけど、それもIllusion 幻想です)。それなのに、いちいち他人と比較して、競い合い、牽制しあい、縛り合い、足を引っ張り合い、嫉妬して、自分の手を汚して穢い事を自分にさせてまで誰かを貶めて… そうやって「他人を縛り他人の自由を奪う事は、自分を縛り自分から自由を奪う事となる」のに(「自分=世界」「Karma カルマ」「因果応報」 - 自分から発せられたものは、良い事であれ悪い事であれ、相手が変われど、状況が変われど、場所が変われど、必ず同質のものがやがて自分に返ってくる法則によって)、逆に言えば、Karma カルマの法則によって、自分が発したものは自分に返ってくるのですから自分が他者・世界に「与える」ことをすれば世界も自分に「与える」わけで、【自分が他者に気前よく与えれば与えるほどそれは自分に返って来て自分を豊かにする】のに、ましてや「幸せ」な人が増えた方が、教養ある意識の高い人間が増えた方がこの世界は住みやすくなるのに、そんな「楽しく」もない「幸せ」にも感じない事をしながら戦々恐々として生きるなんて、折角、最大限に楽しんで「幸せ」を感じながら【最高の自分になる為に、神様に招待されてここに来た】のに、全くもって貴重な時間と貴重な自分の労力の無駄遣いだと思うでしょ?

以前にもお話ししましたが、私がこのブログに書いているような事のその基本になっているものは、何も新しい事なんかではなくBible 聖書でもBuddha 仏陀の教え / Zen 禅の教えでも言われている事で、大昔から既に明らかになっている事です。それに対して、私が自分の経験を通じて(神様に導かれながら)私が辿り着いた気付き・答え、そこに辿り通までのプロセスと言ったものをお話しする事で、如何に大昔から伝えられてきたTruth 真理が、現在も変わらず着実に作用している法則であるのかという事を、それは特定の人にだけ作用しているものでも空想上の作り話でもなく誰にでも何処にでもどの瞬間も普通に起こっている事なのだという事を、そして、人生は苦しい思いをして戦いながら何かを勝ち取らなくてはいけないようなものではなく、【自分をどこまで「自由」に開放してどこまで「幸せ」にしていくか】というもっと楽しく建設的なものなのだという事を、少しでも理解できる人が増えれば、その分だけ肩の荷を全部下して楽に、幸せに、「人生はもっと楽しく素晴らしいものだ」と実感しながら生きられる人が増える、当然そうすれば、上にも書いたようにこの世界は人間だけでなく全ての命にとってもっともっと住みやすい美しく快適な場所になる、そのVision ヴィジョンに引っ張られるがままに私は私が伝えたいと思う事を、私がそうしたいと思う時に書いています。

それでもいつも言うように、どんなに人々が「これが真理である」と人々に伝えようとしようとも、人によって「それが真理である」と気付くタイミングは神様のシナリオによって完璧に管理されており、それぞれが持つ神様のシナリオ上で今気付く予定になっている人は今気付きますし、今気付く予定ではない人は(今はまだ気付くための充分な準備ができていない)今気付くことはできない - 言い換えれば、この先に気付くべきタイミングがシナリオ上で決まっているから今気付くことはないのであって、単にそう言う人たちはGod's Plan 神様の計画の上で「のちの世界の為の光である(「のちの戦力」という感じの)」であると言うだけの事です。だから、現在未熟な魂を持つ未熟な人を無理にどうこうする必要はないので、放っておけばいいと言うのです。ですから、私は繰り返し、「私は優しい人や心の綺麗な人、真面目な人、繊細な人の味方だから」と言い、そう言う人たちは人一倍傷ついたり痛みを経験してきている分だけ、エゴの領域と神様の王国の間の壁を掘り進めているので、エゴの領域と神様の王国の間の壁に風穴があく日が近い - つまり「真理に気付く」「エゴの領域を出る」「Satori 悟り」「Kingdom of God 神様の王国に足を踏み入れる」「この地上にHeaven 天国を見る」「Life is a big ball party, once you realized it. 人生は大きな舞踏会・パーティーであると気付いて存分に楽しみながら生きる」準備ができている人たちであるから、そう言う人たちの「今迄開けられなかった扉の鍵」になる可能性のあるであろう言葉を、Go with the flow 自然の流れに身を任せながら、自分という樹になった実から種をこぼすように、ポツポツと、どこであれ私が存在している所で、いつであれ私がそうしたいと感じる時に、Spontaneous 自然発生的に発しているのです。

何故、自分が持っているVision ヴィジョンを叶える為に・達成するために・実現するためにと必死になってあれこれと手を打つようにして、他人の気を惹こうと毎日来る日も来る日も頻繁に何かを打ち上げたり声高に主張したり、自分の主張を誰かに押し付けようとして直接的に強引に働きかけたり、自分の「正しさ」を証明しようとしてわざわざ自分が神様に与えられた「自分の基準」に満たないものを解らせようと戦ったりたり力技でねじ伏せたり、支持者集め・フォロワー稼ぎ・アクセス稼ぎのための戦略・秘策・裏技・方法と言われるものにお金や労力を投じたり、または強力にサポートしてくれそうな人の目に留まるように気に入られるようにと何らかの策を講じたり… といった、Ego エゴの極めてちっちゃい範囲で考えた大した意味もなく結果を保証する事もないような「在っても無くてもいい」ものには目もくれずに、【淡々と自分が「やりたい」と感じる事を、「やりたい」と感じる時に、それが多かろうと少なかろうと「やりたい」と感じる分だけやっている】のかと言えば、そのように「焦ること」や「必死になる」ことや「手を打つ」ことや「策を講じる」こと自体がEgo エゴのFear 恐れから生じる行動であり、それは「自分で自分を引き摺り下ろす行為」であるという事を理解している為と、神様のシナリオが如何に完璧に進行しているかを自分の経験を通じて痛い程理解しているからです。つまり、淡々と自分が「やりたい」と感じる事を、「やりたい」と感じる時に、それが多かろうと少なかろうと「やりたい」と感じる分だけやっている】これだけに集中している事が、最も神様の後ろ盾追い風を得る形・在り方であることを知っているからです。

「恐れ=エゴ」主導で生きている人にはそれができない。

108さんも言うように、エゴは「手柄」が大好きです。エゴは、自分が全体から分離していると思い込んでいるために自分はとても非力だと感じていますし、自分ひとりで何もかもやらなければならないと信じていますから、いつも何かをFear 恐れてビクビクしていて、誰かに勝たなくては生き残れないと言わんばかりに、勝ち負けに執着し、そのため競争や戦いを好みます。勝てば生き残れると信じていますから、勝つ事こそが生きる目標みたいになっていて、自分が勝つ為にいつも誰かを何かを打ち負かそうして、いつでも「自分の手柄」を自慢して誇示する為に自分ができることを探していて、それが見つからないと今度は他者(人でも動物でも自然でも物でも)を蔑んだり、他者の足を引っ張る事で、自分の方が上だと、自分は勝っていると思いたがります。何度も繰り返しお話ししているように、それは全く人生を生きる為に必要不可欠なものでもなければ、人生の本当の意味すらはき違えていて、「生き残ろう」として楽しくもなく幸せにも感じない事を「自分で自分を引き摺り下ろしている」だけだとも知らずに、エゴに踊らされてクタクタになりながら、本来楽しむべき「人生」を仮想敵を仕立て上げてまでわざわざ戦っている、という事です。これを108さんは『パンは与えられていて目の前に「既にある」のに、このパンを自分のものにするにはどうしたらいいのか?と悩み、パンは既に自分のものなのに、このパンのお金を払うにはどうしたらいいのか?と右往左往しているようなもの』と表現したのです。私がLOA: Law Of Attraction 引き寄せの法則と言う言葉を使うのを止めて、LOBA: Law Of Being Attracted 引き寄せられの法則引き寄せられる法則と言う言葉を使い始めたのも、私たち人間がEgo エゴの持つ「自分の手柄」を探し求める習性と手を切る為に、聖書に書いてあるように(前回の記事の最後の部分で再度改めて取り上げたEphesians 2:8-10 エフェソの信徒への手紙 2:8-10にもあるように )『初めから全ては神からの贈り物であり人間の手柄と言えるようなものなど何もないため、誰も自慢する事はできない』、そしてZen 禅の教えにもあるように『一片の雪でさえも予め決められた場所に落ちており、そのように、この世界の全ては神様によって既に決められているからこそ起こっている必然である』という部分を明確にしておく必要があると思ったからです。世界中で騒がれたThe Law Of Attraction 引き寄せの法則でさえ、自分で「引き寄せよう」という意図がある以上、Ego エゴの範疇を一歩も出る事ができておらず、それまでに数えきれないほど生まれては消えていった「成功法則」や「幸せになる為の方法」と何も変わりがないため、それら全てを試したとて、手にする結果は変わり映えのしない「在っても無くても構わない」程度のものだったと思います。自分の内面にEgo エゴを持つ私たち人間がこの世界に生まれてきてするべき事は、幸せになるために(エゴがちっぽけな「自分の手柄」に満足できるような、大した成果を齎さないちっぽけな)何かを「する」事ではなく、幸せでいるために「幸せ」には感じない事は(神様の力を信じて、神様の力を内面に持つ自分を信じて・自然の完璧さを信じて)「しない」という選択ができるようになる事なのです。他人や状況や自分のエゴが自分に何をぶつけて来ようとも、そんな事には目もくれず、あくまでも自分が内面で感じている感覚(神様からのサイン)を信じてそれに従って何も恐れずに堂々と【幸せでいるために「幸せ」に感じる事だけを選んでいく】、すなわち【自分のルール】で生きるという事ができるようになる事です。これをBible 聖書では、『Be still じっとして何もするな』と言い、仏教・禅では『Let it go / Let it be 手放しなさい・あるがままにしておきなさい』と言い、それは「幸せ」に感じないものをいちいち拾い上げず・選び取らず、「幸せ」に感じないものはどうこうしようとせず放っておいて、自分が「幸せ」に感じる事に集中していなさい、という事です。【エゴは手柄が大好き。だから「(夢を叶えるためや問題を解決するために、頑張ったり、我慢したり、無理したり、自分を犠牲にしたり、自分を不快に感じさせる事など)何もしなくていい」と言われると、それに抵抗する】 - 要は、この「何もしない」「どうこうしようとしない」「放っておく」「ありのままを受け入れる」「Go with the flow 神様・自然の流れに身を任せる」ができないのがEgo エゴ(いつも何かを恐れていて必死に手柄を探し求めている習性のせい)なので、それらが出来ているかいないかで、自分が(または自分が見ているある人間が)エゴの範疇にいるかエゴの範疇を出た地点にいるかという事が判ります。

前回のページでも触れましたが、この指標を使って人や会社の行動を黙って観察していると、Ego エゴ主導の人(まだエゴの範疇に居て、エゴのFear 恐れから逃れられずにいる人)や、そうしたエゴ主導の人が運営している会社・集団が見極められるようになります - 簡単に言うと、相手に純粋な優しさを注げないものや相手を故意に傷つけようとするもの、勝ち負けに執着するものや競争・戦い・勝ち負けを炊きつけるもの、相手の恐怖や危機感や焦燥感を煽ることで相手の視野を狭くして相手を操ろうとするもの、相手に無理や犠牲や苦しいまでの頑張りなどを強要し「不快」を強いるものは、間違いなく「自分の勝利の為に他者(人でも動物でも自然でも物でも)を打ちのめし・踏みつけようとしている」または「自分の利益の為に他者(人でも動物でも自然でも物でも)からお金・労力・生息地など何等かのものを搾取しようとしている」エゴであり、そういう人間や会社・集団に付き従う事を選べば自分で自分を「他人のエゴ」の奴隷にする事となります。そういった「恐れ=エゴ」主導の人間や、「恐れ=エゴ」主導の人間が経営の舵取りをしていたり現場で指揮している会社・企業・国・学校など如何なる集団も、Ego エゴの属性の一つには「有限」がありますから先ずその上昇には限りがあり必ずどこかで行き詰りますし、エゴはFear 恐れから「自分で自分を引き摺り下ろす」言動をする傾向にあるため今どんなに多くを持って華やかに振る舞っていても確実に坂道を緩やかに下って行っています。ですから、「恐れ=エゴ」主導で生きている人や「恐れ=エゴ」主導なやり方をしている会社・集団に付き従うと、自分の上昇も「有限」でありいつかは陰りを見せ坂道を下ることになる - しかし、神様はどこまでも完璧で世界はうまくできているので、「恐れ=エゴ」主導で生きている人は(無意識的に)エゴ主導で生きている人や会社を好んで選び(単に「恐れ」ているのか、それとも恐れ故に「悪意・敵意」を放っているのかなど「在り方」はそれぞれ異なっていても、同じ「学び」を学ばなくてはいけない者同士が集められている。「類は友を呼ぶ」)、Ego エゴの範疇を抜け出ていて「愛=神様」主導で生きている人は、エゴ主導で生きている人を(意識的にも無意識的にも)選ばず、愛主導の人や会社を(意識的にも無意識的にも)選んでいくのです。私がお話しするような事を理解して、ここでもし「もうエゴ主導な人も会社もいかなる集団も選ばないで、愛主導の人や会社を選んでいきたい」と感じたのであれば、それは叶った未来は『既にある』というPreview 予告ですから、今ここで「今後私は「愛=神様」主導で生きていく。そして「愛=神様」主導の人々や会社とだけ関係を持っていく」と自分の内面でハッキリとDecide 決断し意図すればいいのです - その時点で自分がそれを決意してその時点からその方向に向かって進むことが自分の為の神様のシナリオ上で既に決まっていたというだけの事ですから、いつからでも【自由】に方向を決めて、後は放っておけば神様のシナリオが自然と進んで、その間に自分でも気づかないうちに自分でChrysalis サナギを造らされて、自然とそこに辿り着き(Butterfly 蝶々になり)ます; 自分を「幸せ」にするために、自分へのLove 愛から「そうしたい」「やりたい」と感じたものは、それが実現している未来が既にあるというPreview 予告を見たという事なのですから(現実で、予告編を見た映画を「観たい」と感じても、「じゃぁ、どうやってその映画を作ろうか」などと考えて必死に何かを我慢しながらわざわざ苦労して手に入れようなどとする事などなく、上映される時までは全く別の事をして過ごしていてその時が来たら「神様が自分を動かして」観に行くという形でそれが「起る」か、後になってテレビや飛行機の中や旅行先の海外のレストランなどで放送されていたり、突然家族がDVDを買って帰ってきたりして、「神様が世界を動かして」それが偶然を装って自然と「起る」のに出くわすのと同じです)。

さて、ここまでの所は今迄にもブログ内で繰り返しお話ししてきた所なので、基本編の6ページやそれ以前も含めた過去のブログ記事を検索して頂ければ、更に詳しく説明してありますので、必要な方は右サイドバーか右上のキラキラした蝶々のアイコンから目次を開いて遡って読んでみてください。繰り返し同じことを説明しているようで、「誰かの今迄開けられなかった扉を開く鍵」になる可能性の為に「どうしたら伝わりやすくなるか」を考えながらお話ししているので、お話しする際にはその時々で異なる例えを用いてお話しする事も多いため、ある表現では分かりづらくても、別の表現では分かりやすかったりする事もあるでしょうから、気長に読んで頂ければきっと理解の助けになると思います。

今回は、今までに「後で詳しく触れます」と言ってあったものについて(そう言う部分はちゃんとお話ししておきたかった部分なので、全てではないかも知れませんが、思いつく範囲で)できるだけ触れたいと思っていますので、この辺でサマリーや復習と言った部分は切り上げて先に進みます。

上でも説明した通り、Ego エゴは体という器に入れられたために全体から分離した存在だと勘違いしている個としての自分(一人の人間)です。いつも言うように、動物や自然はあるべき在り方をいつでも人間に見せて教えてくれる存在である一方で、人間にはEgo エゴがあり、人間はエゴを持つ故に【思考】し、ありとあらゆる文明を生み出し目まぐるしく独自の進化を遂げてきましたが、エゴを持つ故に、動物にも自然にもない強く深いレベルのFear 恐れの観念を持ち、そのFear 恐れによって【思考】を展開させるが故に上でも少し触れたような「在っても無くてもいいようなもの」で時間と労力の無駄遣いをします(それを経験する事で学ぶ事が有る人のシナリオに於いて起っている必然ではありますが、もしその人がそれは「在っても無くてもいい事である」という事に気付けるのであれば経験する必要はないものです)。つまり私たちはEgo エゴの【思考】という、大きなAdvantage アドヴァンテイジを授かったと同時に、大きなDisadvantage ディスアドヴァンテイジの可能性も手にしたのです。前回の記事でお話ししたように、全ては【神様の完璧】【神様の愛】であるのに、私たち人間はEgo エゴを内面に持つが故に全ての存在や物事や状態に対して、光と影、上下、大小、多い少ない、優劣などの二元性の見方をしてしまう。それ故に全ての存在や物事や状態は「良い面」も「悪い面」も両方持ち合わせる「表裏一体」のものとなりました(本来は、神様にとってはその表も裏も含めて「ありのまま」で「完璧」であるにも拘らず)。そういう状況の中で私たちEgo エゴを内面に持つ人間は、神様の立ち位置に立って【神様の完璧】というラベル以外を持たずそれ以外のJudge ジャッジをせずに放っておく(=ありのままを許す)か、エゴの立ち位置に在っても自分で意識的に良い面(「愛=神様」の属性を持つ面)に意識を向けて良い面だけを選び取っていくか、その二つの方法によってあらゆる形の「恐れ=エゴ」の属性のものを自分から切り離す事ができるようになります。そうするのであれば、人間はエゴのお得意な【思考】によって限りなく新しく素晴らしい文明を生み出し進化していける一方で、同じエゴの「Fear 恐れ」から発生する【思考】によって他人と競ったり戦ったりして傷つけあったりしながら「自分を自分で引き摺り下ろす」というマイナス(寄り道)が無くなる為、私たちの進化はもっと楽で効率的なものになるのです。

と言う話を家族としていたところ、子供が突然「そうか、Ego エゴは、知恵の実だったんだね」と言いました(こんな風にして、気付きは - 自分の中にPopする閃きのような形以外でも - 近しい存在を通じたり、全く名も知らない人の言葉からも、誰かの作品からも、ありとあらゆる形で齎されています。それを自分へのメッセージだと気付くか気付かないかだけなのです)。それを聞いた時に私の中で「A-ha!」となって、「本当だ。そう言われてみれば全くその通りだ」と、何だか全ての辻褄が合ったような感じでした。Ego エゴを持つ事によって私たち人間は二元性のJudge ジャッジをするようになり、Ego エゴを持つ事でその【思考】により高い知識を手に入れる事ができたと同時に、その反面、Ego エゴのFear 恐れによって必要のない痛みや怒りや憎しみなどによってマイナス方向への寄り道をするようになった。『神様は人間が無垢である事を望まれた』それは、Ego エゴによる寄り道をすれば必要のないFear 恐れとそこから生じる必要のない痛みや怒りや憎しみなどの苦しみと更にそこから生じる傷つけあう事や戦う事を人間が経験しなくてはならなくなるから。そしてそれ故にGenesis 創世記で描かれているように『神様はアダムとイブに「善悪の知識の木」になる果実(Fruit of the tree of the knowledge of good and evil / Forbidden fruit 知恵の実・禁断の果実)だけは食べてはいけないと言った』のです。もしも人間が当時から、知恵の実・Ego エゴの負の部分(マイナスの部分・Fear 恐れとそこから生じる全ての負の思考)を乗り越えて、知恵の実・Ego エゴのプラスの部分だけを活用できたならば、神様は永遠の命を齎す生命の実を食べて人間が永遠に生きながらえてしまう事を危惧してエデンの園から人間を追放する事(失楽園)は無かったかも知れません(Ego エゴのFear 恐れという負の部分が齎すデメリットはそれほどに大きいものですから、それを抱えたままいつまでも生きていられては全・世界・自然・宇宙・神様にとってもマイナスでしかなく、進化どころではないですからね)。しかし神様の予測通りに確かに人間は、あれから長い時間が過ぎだ今でも大部分が、未だにEgo エゴのFear 恐れという負の部分から自身を解放できずにいます(この世界の全ては毎瞬確実に進化していますから、大昔の人間の野蛮さは現代の人間には当たり前に「有り得ない事」になっているように、着実に進化はしているのですが。神様・自然は決して焦ったり急いだりしないので、余りに時間がかかっているように見えるこの状態もまた、完璧に神様のシナリオ通りの状態なのでしょうけど)。

神様が私たち人間に望んでいたのは「無垢であること」、つまり、「煩悩から離れて穢れが無いこと」であり、これは、夢や欲求を持つなと言う事ではなく(自分の中に湧きあがる「好き(愛)」に基づく夢や願いや欲求は、「好き(愛)」が神様から来ている以上、神様に与えられたものですし、そんな事を神様が望むわけもなく、人の夢や欲求はそれが「愛=神様」の属性である限りそれは進化を齎すものですから)、Ego エゴのFear 恐れとそこから生じる様々な(このブログで何度も触れ、上でも挙げたような「恐れ=エゴ」の属性の)穢れた【思考】と「恐れ=エゴ」から生じる願望を煩悩とし、自分のものでも他人のものでもそういった「恐れ=エゴ」の属性の【思考】から生じる「雑音」に騙される事なく、自分の意志によって「愛=神様」の属性の【思考】を選んで、目に見えるものを指針にして進むのではなく、神様から送られてきて「自分の内面」に湧き上がる自分だけの形を持つLove 愛(=神様が自分に与えた「好き(愛)」に基づいて形造られている「自分の基準」=神様が自分に与えた「それを好きになり選んでこそ自分」という基準=神様が自分に与えた自分と言う人間の形)を指針にして、自分の心が「愛」「心地良さ」「幸せ」「愛」「自由」「安心」といった愛に基づくプラスの心地良い【感覚】(神様からのサイン)をもっと信じて・信頼して、その【感覚】(神様のサイン)が指し示す方向に、恐れず、躊躇せず、進んで行く事を私たちに望んでいるのです。そのようにして「恐れ=エゴ」の部分を放棄して自分の意志を以って「愛=神様」を選んで「愛=神様」に付き従って人生を進むことができるようになるなら、私たち一人ひとりを含めたこの世界に存在する全ての存在は元来(気付いていない人も多いですが)内面に神様(=愛)を持つ神性な存在ですから、その進化はエゴの立ち位置からは想像もできない程のものとなるのは当然のことですが、今までにない程に加速度的に進むでしょう。

従って、私たちがするべき事は、マイナスの(自分を引き摺り下ろす)力である「恐れ=エゴ」を放棄して、プラスの(自分を高みに引き上げる)力である「愛=神様」から限りなく(「無限」も神様の属性です)生じる【夢】や【願い】や【欲求】を自分の体を通して表現し実現し経験していく事で、エゴの範疇からでは想像もできなかったほどの【最高の自分】を体現し経験していく事です。

それを可能にするためには、繰り返しお話ししてきているように、『Love yourself first. まず自分を愛すること』(上でさらりと触れましたが、自分を信じることは最終的には自分の中の神様を信じることに通じているのと同じように、自分を愛する事は自分の中の神様を愛する事です)、それによって【True Self-Worth 自分の本当の価値】を腹の底から理解する事、そしてBirthright 生得権である神様に与えられている【Ultimate Freedom 究極の自由】に気付く事、そして、自分の内面に於いて自分(と神様)によって【Absolute Confidence 絶対的な自信】を育むことです。それによって、「自分の外側」で目に見える如何なる要素にも左右されずに【自由】に自分の中に神様から送られてくる「好き(愛)」というサインに従って「自分の基準」を持つ事ができ、その「自分の基準」に則って堂々と(他人の反応や結果や他の外的要因・条件に左右される事なく、恐れずに)、自分と自分の愛するものの「幸せ」の為に選び取るべきものを選べるようになる - つまり、【自分のルール】で生きる事ができるようになる事です。

その為に助けになるであろうお話しをいくつかここに追加しておこうと思います。

自分という存在には神様が与えた高い価値があるという事を俄かには信じられない人も多いかも知れません。そこでこのブログではよく登場する【自分の世界】について、もう少しお話ししたいと思います。【自分の世界】とは、自分が見たり聞いたり経験する範囲で出来ている、一人ひとりがそれぞれ一つづつ持っている小世界の事です。この世界に存在する全ての存在に一つづつそれは存在し、それぞれの存在が存在する事によってそれら小世界は存在する事ができる、というものです。Ego エゴによって高いレベルの【思考】をする事が出来るという大きなAdvantage アドヴァンテイジを与えられ、同時にEgo エゴのFear 恐れによって自身によって自分を引き摺り下ろしその痛みや苦悩の中で学ばなくてはいけないという大きなDisadvantage ディスアドヴァンテイジの可能性も手にした人間(ここでわざわざ「可能性」という言い方をしているのは、エゴと同調しなければそのディスアドヴァンテイジは回避できるため、それは「絶対の力を持つもの」というわけではないからです)は特に、この自分に与えられている【自分の世界】をきちんと管理する必要があります。つまり、自分で【自分の世界】を「幸せ」に保つ事です。【自分の世界】を「幸せ」に保つには当然、自分で意識的に色々な選択肢の中から(初めのうちは、これは「愛=神様」の属性であるかという【思考】に時間を取られたり、自分のエゴや他人や状況などの外的要因に振り回されない為の「勇気」が必要になるでしょう)【自由】に「愛=神様」の属性の【思考】を選び、それに則って自分が発する言葉や行動を選択していく事で、自分の内面を「愛=神様」の属性の【思考】や【感覚】で満たしていけば、Everything starts from within. 世界はいつでも「自分の内面」に付き従っていますから、やがて世界は自分に対して「愛=神様」の属性の「心地良く」「幸せ」な愛に満ちた表情を見せ始めます。

この『Everything starts from within. 世界はいつでも「自分の内面」に付き従っている』という法則ですら、自分の内面・心・マインドと言うものが如何に重要な意味を持ち、大きな力を持っているものなのかを示しています。そして、上で書いた通り【自分の世界】は自分が存在しないと存在できない世界ですから、【自分の世界】が存在しなければ全である世界(それぞれの小世界が合わさって完璧なハーモニーを奏でながら更にはそれぞれの個と全とが双方共に進化までしている、人間業では考えられない程の完璧を成している限りなく大きな世界)は完璧ではいられず欠けが出来てしまうのです。という事は、「自分が見たり聞いたり経験したりして、その中で感じたり考えたりして、更にその中で自分の中に湧き出てくるLove 愛をそれぞれの方法、それぞれの規模で表現していく - つまり自分が自分らしく自分として存在している」という事が - Ego エゴ(個・分離)である自分では全くそんな事には気付いておらず、そんな特別な事をしているようには見えないし、そんな風には思えていなくても、神様は全ての存在を動かして活用しているので、必ず - 誰かの願いや信じるもの・見たいものを叶えていたりその一部を担っていて、全である世界(限りなく大きな世界)にとって欠かす事の出来ない重要な意味と働きをしているという事です。これは例えば、全く精神が未熟でEgo エゴ剥き出しで生きていて、人間の目から見れば、他者に対して「恐れ=エゴ」から様々な穢い事を平気でやって周囲に色々な形で「不快」をばら撒き迷惑をかけているような人間でさえ、それほどに精神が未熟だからこそ果たせる役目を(自分のエゴによって自分を引き摺り下ろすという痛みや苦しみを自ら背負いながら)果たしていますから、そう言う人でさえ、神様にとっては完璧に役目を果たしている欠かせない存在であり、全にとって欠かす事のできない一部であるのです。

私がこの一人ひとりが持つ【自分の世界】をはっきりと理解したのは、108さんのチケットに出会ってまだそれほど時間が経っていない頃で、『既にある』や『7章』について理解した事を自分の中で腑に落とそうとして、自分の人生に過去に起こった事や、現在起っている事を観察しながら向き合い、徐々に、この世界はLOBA The Law Of Being Attracted 引き寄せられの法則引き寄せられる法則によって動いているのだという事が、自分の経験を通して(頭で理解するだけでなく)体感として理解でき始めた頃です。ふとある別れ際のシーンを思い出したのがきっかけでした。(長くなるので詳細には触れませんが)私がアメリカ人のEx-husbandとまだ婚約状態にあった頃、Exの同僚のFighter Pilotが言葉には決して出さないものの(結婚している人に手を出す事は重罪であり、当時の私はそれに準ずる関係にあったため)視線や態度で充分に伝わるほどに私に思いを伝えてくれていました。結婚の前に転勤を控えていたので、私とExとで(アメリカの職場ではパートナーや家族がオフィスや職場の会食や式典に同席する事は普通の事ですから)彼のオフィスに荷物を引き取りに行った最後の日、オフィスで同僚たちに挨拶をして(その時は例の彼もその中にいました)、荷物も引き取りオフィスを出ようと厳重なロックのドアを開けた時、扉の外に例のFighter Pilotが立っていました。廊下に出てExがその彼と話をして、いよいよオフィスの前の廊下を歩き出した時、(危険を承知で、あれほどまでに、言葉は使わずとも目線や態度で)思いを伝えてくれていた彼に何も伝える事ができない事が気になって、もちろんフィアンセの前ではできませんが(そのExは特にJealous Personだったこともあり)せめて有難うとさようならの気持ちを込めて目線を送るなりSmileを送るくらいはしたいと考えながら、私はわざとフィアンセから遅れて後ろを歩いて、廊下がTの字にぶつかって、フィアンセが角を右に曲がり、自分も少し遅れて右に曲がるその瞬間に振り向いた時、そのFighter Pilotの彼は同僚である私のフィアンセが見えなくなった後もオフィスのドアの前でこちらを向いたまま立っていました。それから何年も経ち精神性について知りたいと夢中いなっていたあの頃に、あの光景が頭に浮かんで、ふと、自分が目にした彼の事を考えながら目にした前方にあるT字路の壁とT字路を曲がる瞬間に振り返って目にした廊下の向こうに立ち尽くす彼の姿とは別に、彼が見ていた歩き去る私の後ろ姿と角を曲がる直前に突然振り向いた私が存在し、それぞれは別々の世界を持っていたのだという事を理解しました。

そこからは、このブログの何処かで書いたように、数名で外出して同じ人に会っていても、他の人たちは「今の人は不快だった」と言っていても、私はその人が不快な態度をしていたのを全く目にしておらず(エゴの目隠しが良い方に作用していた、というか、神様が私が見なくていいものを見ないで済むようにお膳立てしてくれた感じ)、『人は見たいものだけを見る』と言うように、人はそれぞれ自分が自分の内面で信じている事・信念・観念・概念によって見る物や情報を無意識に選び取っていて、同じ場所に同じ時間に居合わせたとしても、同じものを見て同じように感じている訳ではなく、それぞれは自分の内面に持つものによって自分が見たり聞いたり経験したりする範囲でできている(とは言え、高度情報社会の現代ではそれが相当広い範囲に及ぶ事も珍しくないでしょう)【自分の世界】を形造っているという事をすぐに経験を通じて理解する事ができました。これを読んで、自分にもひとつ与えられている【自分の世界】について考えてみるなら - 遠からずそれを理解するために必要な閃きが(私のものとは異なる形であるかも知れませんが、自分の為に用意された神様のシナリオによって自分の為に用意された形で)自分の中に自然と起って来ますよ - それに気付こうとしているならばちゃんと気付けます。

こういう自分の経験からのお話も、自分が存在していて、だからこそ存在できている【自分の世界】があってこそ、それが起こり、それを経験し、その経験をお話しする事で、誰かの何かの「A-ha! あぁ、そうか!」に繋がってその人の理解を助け、その人の前進の一歩を助け、その人を少し楽にしたりすることができるわけで、自分が存在していなかったらこの一連の流れは発生する事ができなかったのです。自分が消費しているお野菜や家電、自分が利用している電気やガスや交通機関やソーシャルなどのサービス、自分が前の人が落とした定期を拾ってあげたことも、自分が街で目があった人にSmileしてあげたことも(アメリカではよくあること)、自分がレジで前の人が小銭を切らして困っていたから後ろから小銭を差し出してあげた事も(アメリカではよくあること)、自分がお腹を空かせている野良猫や鳥やリスなどに庭でエサをあげる事も(アメリカではよくあること)、自分がケガをしたり巣から落ちたり川に落ちたりしている動物を助ける事も(海外では当たり前にあり、賞賛されること)、自分が「多く持てる者が多く持てない者の為にやってあげる事は当たり前の事」と人より多く持つ事ができているその誇りと思いやりから積極的に福祉の為に税金を多く払う事も(ヨーロッパ水準)、自分がシェルターや保健所から保護されている犬や猫を引き取って殺処分から救い出し一つの命を繋ぎ止め冷たく狭いケージで生きる生活から救い出し一つの命に幸せを与える事も、自分がホームレスの人にお金を渡したり真冬に温かい上着をプレゼントしたりすることも、自分が気落ちしている誰かに一言「大丈夫だよ」と言ってあげることも、自分が今遠く離れた場所で大変な経験をしている誰かの為にその人の幸せを願い愛を送る事も、自分が家族の為に手間や時間を割いて愛を伝える事も、自分が誰かと恋に落ちる事も、自分が子供を産み育てる事も、自分の仕事も、当然、自分が「やりたくない」と感じるから「やらない」という選択をして「やらない」ことも(禅の教え『Let it all be 全てをあるがままにしなさい』に従って、自分が「やりたい」と感じる事を「やる」のと同様「やりたくない」と感じる事を「やらない」。また、他者・世界の「ありのまま」も許し他人や物事を無理に変えようとしないで手放す事で、実質的に、トラブルや苦しみや争いや戦いを減らす事も含まれる)、自分がそこに居合わせなかったら、自分がそれをやっていなかったら、自分がお金を払い消費し利用していなかったら、自分が存在していなかったら、起ることが出来ずにいたことです(誰かが代わりにやっても、それは自分がしたそれとは違う。自分の起こすそれはあくまでも自分だけができることです)。全ての存在はそれぞれがこの世界に生きて存在しているだけで既に、Albert Einstein アルベルト・アインシュタインが言った通り、『You are living, you occupy space, you have a mass, you matter. あなたは生きていて、スペース・空間を使用・占有し、質量を持っている - あなたはこの世界に於いて重要な意味を持つものである』のです。




私たち人間がEgo エゴ(個・分離)として生きていると忘れてしまいがちですが、人間は全(世界・自然・神様・宇宙…呼び方は何であれ)から一度だって完全に切り離され分離したことなどなく(体という器はそれぞれが分離しているように見せるけれど、それぞれは目に見えない魂・愛・神様で繋がっている - Oneness ワンネス)、結局は人間は自然の一部です。その為、人間がEgo エゴの視点を離れて全(世界・自然・神様・宇宙…呼び方は何であれ)としての視点を思い出すために必要な事は、自然や動物から学ぶ事ができます。私の記事の中に自然の例えを用いたものが多いのも、いつも言うように、自然はエゴがない分だけ極めてシンプルに解りやすく、あるべき在り方や、自然の仕組み、この世界の仕組みを見せてくれる存在であり、私も沢山の事を自然や動物に教えてもらったからです。人はEgo エゴからすぐに自然や動物を人間よりも下の存在のように位置付けますが、学ぶ必要があるのは、思い出さなくてはいけない事があるのは、知恵の実を食べてEgo エゴを持ってしまった私たち人間の方です。人間の言葉を話さないからと言って、動物が人間が言っている事を理解していない訳ではない - 引っ越し先では飼えないという理由で飼っていた猫を貰ってくれる人を探して電話していたら、電話で事情を説明している間に猫が出ていってしまい、それっきり帰ってこなかったという話がありますし、干からびそうになってた小さなタコを助けたり、人間が海に放置した金属がお腹に刺さって困っていたサメがダイバーに近寄ってきてダイバーが異変に気付いてそれを抜いてあげたりすれば、タコもサメもお礼をするために何度も戻って来てすり寄って来たりしますし、幾らでも彼らが人間が思う以上に繊細な感性や高い理解力を持って自分たちの世界を造っているという証明になるようなお話しや動画は存在します。それなのに、動物が人間の言葉を話さないだけで人間と同じようには感じない、人間が理解する事を理解できないとJudge ジャッジするのは、英語が話せないというだけでその人間が劣っていると言うのと同じくらい、浅はかな決めつけであり、その浅はかなジャッジによって様々な形で虐待(毛皮・皮革製品、フォアグラやコピルアクのように虐待の上に生産される商品、お家の外で短い鎖につないでまたは小さいケージに入れてなどの悪条件での飼育、ネグレクト、動物虐待、人間による勝手な理由によるまびきや殺処分、食糧不足などで食べ物を探しに仕方なく人里に下りてくる動物を人が住んでいるエリアに来るという理由だけで撃ち殺す、実際は何の役にも立たないのに利権の為に未だに繰り返される動物実験、乱獲、食肉業界の非人道的な動物の扱い、ウミガメが産卵に来るビーチをバギーで走り回る、木の葉の下や木の根っこ付近にどんな小動物が居るかも考えずに四駆でオフロードを走り回る、海や山に自然に還元されないゴミを平気で捨てる人間の無神経さや無知・無教養のためにそれを動物が間違って食べたりプラスチックや金属が体に嵌って動物を苦しめるまたは死に至らせる、人間の手抜きの為や自分の利益の為にそれが周辺の動物や自然に及ぼす影響もよく考慮せずに屋外で強いケミカルを使ったり農薬を撒く、自分の命を繋ぐためでもないつまり不必要なただのステータスとしてのトロフィーハンティング、何年か前にはアメリカの富裕層(成金)の子供たちがシェルターから黒い猫や黒い犬を引き取ってクルーザーで沖に出て引き取った動物を「釣り」のエサにサメ釣りをするなどという成り金らしい教養のなさも晒しましたね)が起っています。しかし、私たちを含めた全ての存在は、それぞれが与えられたそれぞれに異なる役目があるだけです:何かができないものは、他のものに長けるように力や能力や形状を授かっている筈です、軽視されていい命などありません - この世界に無駄な存在など存在していないのですから。ですから、人間の言葉を話さないと言うだけで、人間よりも劣っていると決めつけ、人間である自分の身に置き換えて物を考える事さえしない、共感しようとしないのは、紛れもなくEgo エゴでしかありません(ホント、以前はそういう話を耳にする度に、そういう人間は自身やその家族が同じ目に遭わないと相手の気持ちや痛みを共感し理解する事ができないんだったら、その人間自身や自分の家族で同じ事を経験させればいいのに、と本気で思うくらいにその想像力の欠如や無教養さといった人間としての次元の低さに腹が立ったものです。今でももちろんそういう精神の未熟さに対して寛容になる気はないですし、理解しようとも思わないですが、精神性を学んでからは【自分の世界】の「幸せ」を責任を持って維持するために(何かを助ける為に自分まで心の中に「恐れ=エゴ」を満たせば、自分まで足場を失い、誰も助けられなくなってしまいますから、今では「助けたい」「手を差し伸べたい」と思った時は淡々と「自分に出来る事をする(心は地に足を付けたまま)」という事に徹するようにしています)、そして自分を愛する事を通してそのようなレベルの低い「不快」な話に自分を付き合わせていい程自分はお安くない(そうさせるなら、それは自分に対する裏切りである)という事を理解していますから - そういう無教養で次元の低い人間の、余りに「幸せ」とは逆の方向に自ら暴走していく様に対して「Good luck with your life. あなたの人生これからもまだまだ大変そうだけどせいぜい一人で頑張ってね」とは感じますが、『エゴい人間と決して戦ってはいけない、彼らは彼らの低いレベルに相手を引き摺り下ろすから』 - 放っておいても「汚れ仕事」は全てKarma カルマが面倒を見ますから、いつかそう言う人間が自ら責任を取ったという話が聞こえてくる事を経験上よく知った上で手放しています - これも自分の足場を失って、助けが必要なものに手を差し伸べる事ができなくなってしまう事がないようにするために重要な事です)。 Nature 自然・Animals 動物の、人間の言葉を話さない彼らにも一つづつの【自分の世界】があり彼ら自身も彼らの持つ小世界も、全という限りなく大きな世界にとって欠かす事のできないものであり、私たちと何も変わらない事を忘れてはいけません。何より、Nature 自然やAnimals 動物を軽視している人は、そこから学べる数えきれない教えを学ぶチャンスを、自ら不意にしていてそれによって一番損をしているのは、自然や動物を軽視したその人自身であるということです。それらの事に気付けていない以上、悟り・真理・本物の幸せ・本物の成功・Kingdom of God 神様の王国・エゴの範疇の外側・この地上にHeaven 天国 / Paradise 楽園 / Xanadu 桃源郷を見るという地点からは遠いという事ですから、この先の人生も決して楽な道のりではないでしょう。それを知って少しでも早く自分を救いたいと思うなら、早いうちに自分の内面に向き合って「恐れ=エゴ」主導で生きている自身の在り方を見つめ直してみる事をお勧めします。一つ付け加えるなら、そう言う「恐れ=エゴ」主導で生きている人たちは、自分はエゴのちっちゃい知恵を絞って賢く振舞っているつもりでいるため自分は上手くやっていると勘違いして悦に入っているものですが、矮小なEgo エゴの限られた範囲で考えられたようなものは須らく神様の前には何の意味も力も持たない全く無力なものであり、「恐れ=エゴ」を基盤にした【思考】である以上それが永く上昇する事など神様が決して許さない - そして、そう言う人たちが軽視している他者は「人間」のみならず「動物」も「自然」も含めて皆「愛=神様」を内に持つ神性な存在であるという事、特にNature 自然はGod 神様そのものである(Animals 動物はNature 自然の在り方に限りなく近い形で存在している分、人間よりもGod 神様に近い存在)という事、つまり、そう言う人が軽視して痛めつけ冒涜しているものは - 例えそれが物申さなくとも - God 神様そのものであるという事です。それが何を意味するかは、思い当たる節のある人がご自身でよく考えてみるといいと思います - もちろん、考えたくなければ考えなくていい: ご自身のシナリオ上でまだこの先も引き続き坂道を下る運命にあるというだけの事ですから、ご自由にどうぞ。




ちょうどいいので、「優しさと優しすぎる事」について少しお話ししておきます。私がGenuine People 本物の人たちと呼ぶ、優しい人、心の綺麗な人、真面目な人、繊細な人は、あちこちで何度もお話ししてきているように、エゴの領域を出てKingdom of God 神様の王国に足を踏み入れる日が近い人たちです。そう言う性分を生まれながらに持っている人は、今世生まれた時に既に、地上に居ながらにして味わうHeaven 天国 / Paradise 楽園 / Xanadu 桃源郷に近い地点に置いてもらったという人たちで、前世やその前までに様々な事を学んできている人たちです。それでも、今世に於いて優しく、心が綺麗で、真面目で、繊細であるという性分を持つが故に人一倍傷つき痛い思いをしてきていると思いますが、その分エゴの領域とKingdom of God 神様の王国の間を堀り進んでいるという事ですから、自分が優しい人、心の綺麗な人、真面目な人、繊細な人に生まれた事を決して投げ出してしまわずに(「お利口さんでいたらバカみたい」と思う事も、「Bitchになってやろう」と思う事も、数えきれないほど経験してきていると思いますが、そう言う人たちは選ばれてKingdom of God 神様の王国の入り口の近くに生まれてきているので、結局は、エゴい人間になる事を選ばずに来ていると思います)、自分が自分である事を愛して、堂々と胸を張って進んで欲しいと思っています。

あちこちで言われている事ですが本当に、Nature 自然が黙って教えているように、止まない雨はなく、明けない夜はありません - 穢いものを見て、傷ついて、疲れ果てて、全てが嫌になってしまって、ベッドの上で布団に包まってカタツムリみたいにしててもいい: それが今「やりたい」事なら、それを「やる」ことで自分が「楽に感じられ」たり「安心でき」たり「心地良く」「幸せ」に感じられるのであれば、それを「やる」事は自分へのLove 愛ですから、形は何であったって構わない「生きてさえいれば」、「必ず」、再び神様の青空が見える日はやって来ます。『This too shall pass. これもまた通り過ぎる』 - 自分を傷つけた者を許さなくていいから、自分を怒りや憎しみや苦しみから解放してあげて下さい - 【価値あるあなたがそんな事を考えて「不快」なんか味合わなくていいんだよ。あなたはそんなにお安くないんだから】と自分に言ってあげて: 自分が本当に解放されたと感じるまで何度でも、決して自分を諦めずに(私の場合は、苦しんでいた最中に「Licoは、もうそんな事考えなくていいよ」と自分に言ってあげた時、嘘のように一気に、今まで感じたことがなかったほどの物凄い解放感を味わい、私が今迄求めていたのは他でもないFreedom 自由だったんだという事に気付いた経験があります)。他者を自分の利益の為に傷つけることを厭わないような人は必ず「恐れ=エゴ」を抱えていますから、放っておいてもKarma カルマによってどんどん転落していきますから、あなたが手を汚す必要などない。それよりも自分からは「恐れ=エゴ」を発さなかったという自分にクレジットを与え、自分をきちんと評価し、そんな自分できちんと自分を褒めてあげるべきです。そうやってきちんと「自分を愛して」自分の内面が「愛=神様」で満ちれば、次第にそうした「恐れ=エゴ」に満ちた人々には出くわさなくなってきます。同時に、自分を愛する事によって自分の内面が「愛=神様」で充分に満ちる頃にには自分の内面に相当に強い【Confidence 自信】も育ってきているので、例え今度またそういう「恐れ=エゴ」にまみれた人間に出会おうとも、「そんな人間は放っておいても勝手に自分で絶賛転落中である」という事を知っているので心に余裕がありますし、こちらは相手に対して「恐れ=エゴ」を発しておらず「愛=神様」の属性の【思考】を持っていたなら、相手は「恐れ=エゴ」から悪意や敵意を持ってこちらに接してきたその瞬間には既に「恐れ=エゴ」を発していて、その時点で、Pharrell Williams ファレル・ウィリアムスの言う通り「相手がこちらを低く見積もった・見くびったその瞬間に、戦わずしてこちらの勝ちは確定している」(God wins in the end. 神様は、途中紆余曲折在っても、最終的には必ず勝つ)という事も理解しているので、一時的に「イラっ」とする事はあっても、冷静になってからもなお「怒り」「恨み」の【思考】をいつまでも抱えたりしなくなっていて、仕返しなんていう「汚れ仕事」はKarma カルマに任せておけば『天網恢恢疎にして漏らさず』ですから「必ず」ちゃんと面倒を見てくれると知っている(時に、Karma カルマ仕事完了通知のように、忘れた頃に、自分を傷つけた「恐れ=エゴ」を発し続けた人間の末路を思いがけない所から知らされる事になったりもします アリガト)ので、そんなエゴくて絶賛転落中の人間の事など忘れてさっさとMove onして、さっさと自分の「幸せ」に向き直れるようになります。そうなると、エゴい人間に出くわす事など怖くもなくなり、更にその地点を超えると、エゴい人間に出くわしたらそれはむしろ自分を一気に高み(より大きな幸せ・次のレベル)に打ち上げるCatapult カタパルトなのだという事を理解するので、むしろワクワクした感覚さえ覚えるようになります。大丈夫です、優しい人、心の綺麗な人、真面目な人、繊細な人は、そのような経験する日は遠くないのですから。




優しく、心が綺麗で、真面目で、繊細な人は「愛=神様」の属性のものを、エゴまみれの人間よりもずっと多く選んできているのに、どうして人一倍傷ついたり苦しい思いをするような経験をするのか?それはもちろん、エゴの範疇とKingdom of God 神様の王国の間の壁を、そうでない人よりも着実に掘り進むための経験であるので決して無駄な事ではありませんし、そういう「愛=神様」の属性のものをちゃんと選べる人にも学ぶべき事があるからこ起っている必然なのです。では、人一倍「愛=神様」の属性の選択をしてきているのにも拘わらず悲しい思いや傷つくことや苦しみを経験している理由は、つまり、優しく・心が綺麗で・真面目で・繊細な人が学ぶ必要のあった事とは、一体何だったのか?これは、What I learned in hard way. 私が大変な思いをして学んだ事ですから、是非とも、私がGenuine People 本物の人たちと思うような優しく、心が綺麗で、真面目で、繊細な人といった人たちが、少しでも早くそこに気付いて少しでも早く楽になって欲しいという願いを込めて書きます - God 神様は、与える為に用意した贈り物をあなたが受け取るまで差し出す事をやめません。自分が受け取るべき素晴らしいものを見過ごしてしまう事もないですし、もしも、それを受け取り拒否しても・手放しても「受け取る」事がシナリオ上で決まっている限り必ず代わりのものを差し出します、受け取ってもらうまで。神様が用意してある贈り物をこちらが受け取るまでGod 神様(=Love 愛)は決して諦めないのです。それと同じように、極めて単純に且つ普遍的に働くKarma カルマの法則によって、私たちがそれぞれのレベルに於いて学ばなくてはいけない事も、それを学ばずにはより大きな幸せ・次のレベルには進めないため、「恐れ=エゴ」を発している以上は「恐れ=エゴ」は確実に自分に返ってきて、受け取り拒否しようともそれが消えて無くなる事などなく、ちゃんと受け取りそこから学ぶべきものを学び取るまで繰り返されます - それでもEgo エゴの属性には「有限」があるので誰でもいつかは必ず苦しみに耐えかねて、自分で自分を何とかして救おうとするため、何らかの形で「恐れ=エゴ」を手放す日が来ます - 「有限」つまり終わりがあるわけです。その地点は、それぞれの人の神様のシナリオによって違うでしょう。けれど、相当ギリギリの所まで行く人も少なくありません。そうしてギリギリ所で、苦しみに耐えかねてドラッグに走ってその中で見た幻覚を形にして、自分のその経験があってこそ辿り着いた【自分にしかできないこと自分にしか作れないもの】を生み出して大成功を収め、その後にも自分の経験から人々をインスパイアする素晴らしい言葉を沢山残し今でもクオートとして広く愛されている世界中の誰もが知っている人物が居ます。ギリギリの所で、もう死ぬしか自分を救う道はないと思った時に、目に留まったものを形にして美しい作品を生み出し、自分のその経験があってこそ辿り着いた【自分にしかできないこと自分にしか作れないもの】によって今では有名な芸術家になった人物もいます。エゴが、カルマが、または神様のシナリオが、そうしたギリギリの所まで人を追い込んだとしても、神様はその人がそこまでギリギリな地点に立った意味を与えるのです(その人がギリギリの地点まで踏ん張った事を神様は決して無駄な事にはしない。その人がギリギリな所まで追いつめられるほどに背負った痛みに充分以上に報いる王冠を用意しているのです)。私たちは個と全の進化の為に敢えてそれぞれが異なるように創られたのですから当然、人にとって苦しいと感じる・ギリギリと感じる・限界と感じる地点は、人それぞれです。そしてそれぞれの為に神様が用意した神様のシナリオによっても人の人生の上で起る事は誰かのそれと決して同じではない。だから、ギリギリの所まで行くかもしれないし、行かないかも知れないし、そのギリギリという基準だってそれぞれの「自分の基準」によって様々ですが、どの地点に於いての、どの経験に於いても、何一つ無駄なものはなく、神様はあなたがする事の何一つ無駄にしたりはしない。だから、この先何が起こり、どんな風に展開するのかを、恐れないでいいAngel Smily icon 一つだけ、気を付けてほしい事があります。

このブログの昔の記事にその辺の事を書いた事があるのですが、私は幸いな事に、元々自信はありましたし(もちろん今の【Absolute Confidence 絶対的な自信】の比ではありませんが、エゴの範疇で言えば自信はあった方だと思います)、「もし自分がどこかで自分に出会ったら、友達になりたいと思うだろう」と思う位には自分の事も好きでしたから、精神性の事を学び始めて、特にLOBA: The Law Of Being Attracted 引き寄せられの法則引き寄せられる法則について学び始めた頃、isaさんの「自愛」の魅力が文章を読んでいるだけで実践する前の時点では分かりづらかった - 何故なら自分を既に好きだったから。でも、自分に自信もあり自分を好きであった分、実際に「自愛」を始めたら本当にあっという間に、【True Self Worth 自分の本当の価値】に気付くことができました(だから「自愛」そのものはほんの数回しかやっていません。ただし、今でも「自分を愛すること」は続けていますし生き方としてこの先一生続くと思います)。そこで気付いたのは、自分には自信もあって自分を好きだったけれど、「自分を愛するという事がどういう事なのかが解って居なかった」という事です。既にブログでもソーシャルでもお話ししましたが、好きな事と愛する事は違います。自分を愛するという事は自分に最大限の自由を与え、自分に優しくし、自分を大切にし、自分がやりたい事をやらせ、自分がやりたくない事は自分にやらせない、自分が言いたい事を自分に言わせてあげる、自分が「不快」に感じるものを自分に与えない、自分が「不快」に感じる人間に自分を付合わさせない、決して自分の「幸せ」を二の次・後回しにせず、決して自分に無理させたり我慢させたりせず、決して自分を犠牲にせず、いかなる状況下でも決して自分を愛する事と信じる事を諦めず、いつでも「自分が愛せる自分でいる」ための選択を自分のためにする(自分の芯を持つ)、というような事です。これをちゃんとやっていくと、優しくて、心が綺麗で、真面目で、繊細な人も、自信もあって自分の事も好きで基本的に「愛=神様」の属性の選択をしてきた私のような人も、そうした、一見すると「恐れ=エゴ」も平均より少なく結構「上出来」な感じな人(単純計算では「愛=神様」の選択の方が多いわけですから、「上昇」は必須と思われる状態)であるにも拘らず、「自分の何がいけなかったのか」がはっきりと解ると思います - 優しすぎる事です。

You can be a good person with a kind heart and still say no. Always be true to yourself.

You can be a good person with a kind heart and still say no. Always be true to yourself.

あなたは優しい心を持つ良い人でありながら、「いいえ」「嫌です」「やりません」「同意しません」と堂々と言える人になれる。いつでも自分に対して正直で誠実でありなさい。

「優しさ」や「思いやり」は当然「愛=神様」の属性ですから、自分を高みに引き上げる作用を持つものです。「優しさ」は「強さ」がないと持てないものですので、精神的な「強さ」も兼ね備えている筈ですから、「上昇」の要素としては申し分ないものであり、非常に価値ある素晴らしいものであることに間違いはありません。でも、優しい人、心の綺麗な人、真面目な人、繊細な人、が犯しやすい間違いは、優しいが故に - 相手の痛みに寄り添い過ぎてその痛みや悲しみを自分のものにしてしまったり、物言えない大人しい人や動物などの為に代わりに怒り(エゴ)や戦い(エゴ)を引き受けてしまったり、他者を助ける為に自分や自分の「心地良さ」や「幸せ」を犠牲にしてしまったり二の次・後回しにしてしまったり、相手を喜ばせたくて(自分では自分に我慢させている自覚はなくても)自分よりも相手を優先させてしまったり、自分を他者に優しくする為に自分が多大なる愛と時間と労力と数えきれない経験を積み重ねて身に付けた英語の能力や海外勤務で学んだ知識をその価値も理解できず感謝もできない相手に無償またはその価値に全く見合わない報酬で提供することを許容したり、参加したくもない低俗な集まりに気が進まないのに付き合いで参加したり、他者に優しくする延長線上で相手に「申し訳なさ」や「劣等感」や「Obligation 恩義」を感じさせないように自分の目線を下げてあげてしまい更にそれが進むと自分が折角(神様や親に与えてもらって)「持っている」素晴らしいものを謙遜するために重要ではないもののように扱い仕舞には隠したり疎ましくまで思うようになったりもします。解りますか?これらは人から見たら美しいことのように見えるかも知れません - それはもしも自分がそこまでしてもらったら幸せ・嬉しいと考えるからです: しかし人はそう考える時に、相手がどうなるかなんて考えてもいません。ですからここでハッキリと明言しておきます【自己犠牲など全く美しいものでもなんでもない。自己犠牲なんかを続ければ、やがて誰も助ける事も幸せにする事もできなくなります(自分の内面でLove 愛を感じることが減る一方なので徐々に自分の外側での幸せな経験も減ってくるから)】そして【自己犠牲する人は、他人から無礼な扱いを受けるようになります(「自分=世界」なので、自分が自分を扱う通りに、他人も自分を扱うようになるから)】。ここで挙げた優しい人、心が綺麗な人、真面目な人、繊細な人が、当たり前のようにやってしまっているだろう事の何が落とし穴だったのか; 優しくするために、自分を犠牲にして、自分に我慢をさせ、自分に「不快」を味合わせ、自分を大切にすることを二の次にして、価値ある自分を安売りして(相手に安いと勘違いさせた)、自分であることを「自分の基準」を他者の為に下げたり挙句の果てには否定までしているのです。高潔で正直で正義感が強い自分も、大概の場面では(技術とか能力ではなく精神的に)負ける気がしない物怖じしない強い自分も、他者(人でも動物でも自然でも)に優しくできる自分も、自信があるけれど決して傲慢ではない自分も、楽しい事が好きで楽しむ時は誰よりも楽しむ自分も、自分が好きになれないものには「それを大衆が好んで選び祭り上げていても」そんな事には関係なく全くと言っていいほど興味がないけれど自分が愛すると決めたものはとことん愛する自分も、自分の何もかもが好きだったけれど - それら全ては今も変わらないし、この先も変える気はないけれど - 一つだけ学びによって変えた事は、他者に優しくする時に、自分の心の中で「幸せ」を感じないような形ではしない事、自分が「幸せ」でなくなるほどはしない事、そしてどんな相手に優しく敬意を以って接する為でも(例え相手が自分より持っていないことを恐縮しようと、例え相手が自分より遥かに持っていようと)自分が自分である事を愛する事や自分が自分である事を誇りに思う事=【自信】を決して手放さない事 - つまり、自分を自分ではない誰かみたいに変えたのではなく、『Lower your standards for no one. 「自分の基準」を誰の為にも下げてはいけない』という事を肝に銘じて、もっと一貫して【自分が自分であること】を大切にして、もっと一貫して【自分が自分であること】を優先させる事にして、これまでより自由に【もっと自分になった】のです。自分が何を「好き(愛)」かという基準も、自分の愛するものも変わっていないので、自分が愛や優しさを向ける対象は変わっていない - しかし、境界という意味でも、度合いという意味でも、自分の為と自分の内面の質を保つ為にきっぱりと線引きができるようになった、という点が重要な進化だったと思いますPurple Flapping Butterfly

上のパラグラフを読めば、前回の記事で私がお話ししていた事の真意が理解できると思います。この部分を読めば、Love yourself 自分を愛する事は自己中心的な事ではないという事が解ると思います。アメリカでは『Self-care is not selfish, it's necessary. セルフケア・自分が自分の面倒をちゃんと見る事・自分に優しくして自分を大切にする事は、わがままな事ではなく、必要なことである』というのは、よく言われている事です。前回のページのTheodore Roosevelt セオドア・ルーズベルトの言葉の通り、どんなに素晴らしい夢を思い描いていても、どんなに他者に優しくして愛を注ぐと言う尊い事をするにしても、どんなに世界を変えるような崇高で壮大な仕事に向き合っているにせよ、決して、決して、「自分を愛すること自分を大切にすること自分が自分であることに誇りと自信を持つこと」を決して見失ったり蔑ろにしたり二の次・後回しにしてはいけない - 「自分」が存在していてこその【自分の世界】は、「自分」なくしては成り立つ事もできないのだから。だから、夢に描いているものを経験するにせよ、他者に優しくするにせよ、崇高な仕事を成し遂げるにせよ、何であれこの世界で何かを成したいのであれば、『Love yourself first. まず自分を愛しなさい』であり、【自分を愛して、自分を二の次・後回しにせず優先させ、自分を大切にする事の重要性】は、海外のクオートからなら枚挙に暇がないくらいに、昔も今も多くの人々が口にしている事なのです。

I'm a Christian now... I go surfing and snowboarding and I'm always around nature. I look at everything and think, 'Who couldn't believe there's a God? Is all this a mistake?' It just blows me away.” - Paul Walker (1973 - 2013)

I'm a Christian now... I go surfing and snowboarding and I'm always around nature. I look at everything and think, 'Who couldn't believe there's a God Is all this a mistake' It just blows me away. - Paul Walker

今では私はクリスチャンだ…。私はサーフィンやスノーボードをしに行き、私はいつでも自然に囲まれている。全てを見回して私は思う、「神様がいるという事を信じられない人なんかいるのだろうか?私が目にしているこの全ては単なる間違いだとでも言うのか?」自然はただただ私を驚かせる。” - ポール・ウォーカー

ここからは、Nature 自然が人間などが全く足元にも及ばない存在である(God 神様そのものである)というお話しを幾つかしておきます; 人間は知恵の実を食べてEgo エゴを手にした事によって、「恐れ=エゴ」の属性の【思考】という大きなDisadvantage ディスアドヴァンテイジの可能性を抱えている事にも気付かずに、大きなAdvantage アドヴァンテイジとして手に入れた限りなく展開させられる「愛=神様」の属性の【思考】を持っている事に優越感だけを感じて、この世界をRule ルールしているのは人間であると勘違いしています - そしてそのEgo エゴの習性のせいで、いつまでも「自分がコントロールする事」に拘り、「自分の手柄」に拘り、「恐れ=エゴ」を手放さなければ入る事ができないKingdom of God 神様の王国に入れないでいますから、先ずは【この世界は人間によって支配され人間が動かしているのではない】という事を知る事は「コントロール欲」と「自分の手柄」に対する執着を手放す助けになると思いますBlue Marble Icon

今迄も、私の目線を通して見て来たいつでもNature 自然やAnimals 動物が見せて教えてくれる人間が学ぶべきTruth 真理をブログの中でお話ししてきましたが、これから書くことは多分まだブログでもどこかでもお話ししていないNature 自然のお話しであり、他でもない私たち人間というNature 自然の一部についてです。私はいつも、「魂・精神が未熟な人はTruth 真理を受け取り理解する準備がまだできていないから、そう言う人にどんなに説明してもそう言う人が気付いたり目覚めたりする事は決してないので、神様に任せて放っておけばいい - そういう眠っている人を無理に起こす必要はない、そう言う人は後の時点で目覚めて光となる役目なのであって今は光となる役目に無いだけだから」というような事を言います。そして、「放っておいても人は皆、誰もがいつかは(今世ではないなら来世やその先で)必ず、私がお話ししているような事に気付いて、エゴの範疇を出て地上に居ながらにしてKingdom of God 神様の王国 / Heaven 天国 / Paradise 楽園 / Xanadu 桃源郷に足を踏み入れる時が来る - 神様は皆をそこに連れていきたいのだから」と言います。そして、この地球上には、大雑把に分けると、「近いうちに気付く予定になっている人(優しい人・心の綺麗な人・真面目な人・繊細な人など)」「今世の後になってか来世かは分かりませんが、この先後になって気付く予定の人(今はまだ「恐れ=エゴ」主導で生きているような人)」がいて、更には「前世などの時点で既に気付いているために、今世わざわざ神様や真理と言ったものに触れてまで気付く必要性は感じてはいないけれど、魂・精神が充分に成熟しているために他者(人でも動物でも自然でも物でも物事でも - 当然、神様や真理と言ったものも含めて)を否定したり故意に傷つけたりといった「恐れ=エゴ」を発する類の思考に至らない人で、自分ではわざわざ自覚していなかろうと様々なものを受け入れる包容力と冷静さや忍耐力を持ち合わせているためいつも心に余裕ゆとりがあり小さい事は気にしない大らかな人で、その人がその人として存在しているだけで、その人とその人が愛するものたちは幸せで居られますし、その人がその人として存在しているだけで、周囲に良い影響や刺激を与えているような人」というカテゴリーのどこかに属するような形で多くの人間たちが存在していますが、どのカテゴリーに存在している人も全てはいつか、Kingdom of God 神様の王国といったエゴの範疇の外側で【Ultimate Freedom 究極の自由】を味わいながら【最高の自分】を楽しく感じながら実現しつつ幸せに生きていくようになるのです(どこかでもお話ししましたが、その先は、人間に黙って粘り強く在るべき姿や在るべき在り方を教える為に、Nature 自然やAnimals 動物になるのかも知れません)。このようなお話しは今までも繰り返しお話ししてきた事ですが、そこまで俯瞰して捉えて見るものの規模が大きくなってしまうと「そうは言われても…」とピンと来ない人も多いかも知れませんが、Nature 自然は(God 神様・World 世界・Universe 宇宙・Whole 全)はこれでもかと言う位に親切設計なので、ちゃんと他にも幾つも解りやすい例も用意していつでも黙ってそこに在り見せてくれています。その一つが他でもない私たち人間の一生です。

私たちは生まれる前お母さんのお腹の中に居るほどに小さな赤ちゃんの頃、何も恐れるものが無く、自分が生きる為に必要な物は当たり前に自然と供給されて、お母さんのお腹と羊水というクッションに守られて、快適温度の中ですくすくと育ちます。そして、生まれて来てから暫くの間も、赤ちゃんから幼い子供の頃は(個人差はあるにせよ)、怖いもの知らずで、何がやってはいけない事なのかも知らず、人の顔色もほとんど伺わず、【自由】に伸び伸びと生きて、「子供だから仕方がない」と世間に許されながら、その成長を見守られます。本来生き物は、まだ生命力の弱い子供や小さいものを本能的に守ろうとするように創られています。ですから(基本的には)生まれて来てから一定の間は、【自由】に伸び伸びと生きる事が自然と叶うようになっています。ここに私たちが学ぶべき点が隠されています。【自分が、「自由」に伸び伸びと生きる事と、世界が、個の「自由」を許しながら見守りつつ必要ならば手を貸す】という姿勢が双方で取れるのであれば、人は地上にHeaven 天国を見る事ができる - しかし、その一定期間が過ぎるとすぐに、親や世間は「あれをしなさい」「これはやってはいけない」「今は我慢してこれをやりなさい、後で幸せになる為に」と子供から【自由】であることを奪い始めます。そして子供自身も1歳になる頃には、「自分が」とか「自分でやる」といった自我が芽生え始めます。そうやって、一人の小さな人間の中にEgo エゴがどんどん育っていきます。お母さんのお腹に居た頃や幼かった頃は自然とあるべき在り方で居られたのに、こうしてあるべき在り方から外れてしまう事は勿体なく残念に感じます。

(この記事をアップし以来何となくここからの部分が気になっていたのですが、今まで繰り返し同じ説明を書いて来ているのに、どうしてこの理解にそれが結びついていなかったのか、今となっては不思議なほどですが、ここにきて理解の点と点が結びついて線になったようで、私は通常、ブログ記事アップ後に説明を付け加える事はあってもブログの内容を訂正する事はないのですが、今回はここからの一部をこのパラグラフ内のみ訂正します。)Satori 悟りというのは、Buddhism 仏教で言うところの4階建て+屋上の建物の4階に居るKannon 観音様が辿り着いた「Kuu 空」という真理・答え、大雑把に言えば『「自分」というものは存在しない。人は空っぽの器のようなもので、感情も思考も経験も感覚もそこに入っているだけ。「自分・自己・自我」が無ければそれらも存在しない。「自分」という概念が無ければ、全ての苦も存在できない: 「自分の」苦しみ、「自分の」経験、と思ってたものは、「自分の」を外せばそれはただ起こっているだけのものであり放っておけば雲のように流れていってやがて消えるものである(と言って、一切の苦を度したもう)』、つまり「自分」と言う空の器を取っ払ってしまえば「自分」は全体から分離した個であった事など一度もなく、「自分」は元々神様・全・自然の一部であり「自分」という存在も含めて全ては神様のAutopilot 自動操縦であるのだから、自分も自分以外のものも全て自然の流れ・神様に身を任せてありのままにしておけばいい、という事に気付く事であり、その上で、屋上に居るBuddha 仏陀のレベルでは、ブッダが生まれてすぐ言ったとされる『天上天下唯我独尊』そしてブッダが死ぬ間際に言ったとされる『だから汝らは、自らを灯明とし、自らを依処として、他人を依処とせず』という言葉の示す通り、「自分の内面」に於いてEgo エゴの範疇から出て、自分の「恐れ=エゴ」から解放されて、「自分の外側」の他人の「恐れ=エゴ」にも振り回される事なく、どこまでも自分の中に湧き出る「Love 愛」に基づく自分や自分が愛するものを「幸せ」にする類の「好き(愛する)」や「やりたい」を指針にしてそれに付き従って【自由】に進むことができる、つまり【自分のルール】で生きる事ができるようになる事で、それを息をするように自然にできるようになる頃には、Christianity キリスト教の聖書の中で言われているように、大雑把に言えば『あなた方は凡人に創られたのではなく、Excel 秀でるために、秀でた働きをするために創られた』わけだから、『お手本にできるようにと先んじて造られたJesus ジーザスのようにFearless 恐れずにLove 愛主導で自分の言葉や行動や物事を選択して生きていくのであれば』、【最高の自分】を実現し経験する事ができる: Buddha 仏陀のいる屋上のレベルもJesus ジーザスのようにこの世界にKingdom of God 神様の王国を見るという生き方も、どちらもも【「自分の外側」の他人の意見や目に見えているもの、そして自分が既に知っているものなどに騙されずに、あくまでも自分の中に湧き出るLove 愛と愛に基づく「心地良さ」「幸せ」などの感覚=神様からのGOサインを信じてその方向に進んで行く】という在り方で生きる事で実現されるものです。この在り方で生きる事ができる人には、大きく分けて二通りあり、一つは、今世のシナリオで、それが子供時代にであろうと年取ってからであろうと人生のどこかで「気付き・悟る」という地点を通る人、そしてもう一つは、「気付き・悟り」と言う地点を前世までの間に既に過ぎてきている人で今世では既にどう在るべきか・どう生きるべきかを知っている人(その多くは、既に学び終えているので宗教や精神性については興味を持たないかも知れないけれど、それらを真っ向から否定するほど人間として未熟ではない者)。今世で「気付く・悟る」人たちは、多くの場合は一度自己・自我を形成してから、何らかの経験を経て「狭く限られた窮屈な世界から出たい」と自らの意志でEgo エゴの範疇を抜け出し、Kingdom of God 神様の王国・Satori 気付き / 悟りの地点・Awakening 目覚めという地点に到達し、「自分」という「空っぽの器」を自らで取っ払って、いかに神様の自動操縦をFull-throttle フルスロットルにしていくか(自分の中のFear 恐れ=Ego エゴの分量を減らす事で、Love 愛=God 神様の分量を増やすイメージ。エゴが恐れを手放し愛主導で物事を考え選択できるようになる時、エゴは愛である神様・全・自然の一部へと返り一体となる=元々全と一体であったことを思い出し全・神様・自然として思考できるようになる、つまり神様に自分を操縦する全権を明け渡す事ができる)を学びます。この世界は、無駄な事など何も起こっておらず、全ては必要なプロセスであるから起こっている【必然】ですから、このプロセスも自分で「何だか分からないけど」自然とChrysalis サナギを作って、それを自ら打ち破ってButterfly 蝶々になるのと同じように、自分・自己・自我を形成した後に、自らそれを打ち破って外に出るからこそ、今迄は想像もできなかったほどの美しい景色を見れるようになるのです。「どうして自分・自我・自己を形成してから、わざわざ苦しい思いをしてそれを打ち破らなくてはならないのか」 - それは精神的に強くなる為です。「Ego エゴの範疇を出たら戦う事をしないのに、どうして強くならなくてはいけないのか」 - それは、【自力で作ったものを自力で打ち破って自分を進化させる】というプロセスは精神的な強さを必要とし、そうやって身に付けた本当の強さは、本当の優しさ(「愛=神様」の属性)を実現するからです。True Love 本当の愛とは、自分や誰かを「幸せ」にしようと優しくしたり、忍耐力を以ってありのままを受け入れたり、愛するものを守るために自分のできる限りを投じたり、他者を救うために失う事を恐れずに手を差し伸べ、何があっても静かに信じることを貫く事ができるという、Fearless 恐れを物ともしないMental Strength 精神的な強さを必要とするものです。【Being yourself is your calling. あなたの内面に湧き出る愛をその体を通じて表現し自分らしく居る事があなたの使命である】 - Love 愛を自分の体を通じて言葉や行動で表現し実現するという事は(自分の使命を果たすという事は)、精神的にStrong 強くなくては実現できない事だからです。そして、誰かに言われたからでもなく、何となくでもなく、【自分の意志を以って殻を破って前進する】からこそ、先に進んでから、自分がした選択やそれによって手にした結果に対して満足する事ができその経験を自力で乗り越えた自分に対して【自信】が持てる、または【自信】を強化することができるため、「もうかつての自分に戻りたいとは思わない」「もうあのような生き方には戻ろうとは思わない」と感じて後戻りすることに興味がなくなるので、その先は同じ轍を繰り返し踏む様な事はなくなり確実に進化していけるようになるのです。加えて、【自力で作ったものを自分の意志で自力で打ち破って自分を進化させる】というプロセスを経験して精神的な強さを身に付けた人は、もし再び同じような事が起っても【切り抜け方・立ち直り方】を既に知っているので、もうこの先に厳しい出来事や辛い経験が起るかも知れないという未来の「可能性」という単なる「ラベル」をFearless 恐れなくなり、更に、実際に切り抜けられる力を持つからですDiamond spinning 同様に、前世までにこのプロセスを経験してきた人たちは当然、今世生まれて来た時に既にあるべき在り方を知っていて、その在り方を貫くために必要な「雑音に動じずに自分と自分の愛するものを愛し信じ抜く精神的な強さ」「自分と他者のありのままを許し自由へと開放できる大らかさ」「恐れ・執着のない強くしなやかな愛」(これら全て様々な形で表現されている愛。これら全ての根源は愛。)などを意識せずとも自然と身に付けており、それ故に自分にも他者にも豊かに愛・優しさを注げる人です;余計なものが削ぎ落とされた彼らの思考や在り方のSimplicity シンプルさ・単純明快さは時に、Ego エゴ主導で生きている人から見れば子供っぽく未熟だったり無責任に見える(エゴ主導の人には、彼らが今世であれ前世までであれ既に一周回ってその在り方に回帰し辿り着いたという事が理解できないため、言い換えれば、半周ほど遅れているのは彼らではなく未だにエゴ主導で生きている自分の方なのであるということが見えていないため)かも知れないけれど、彼らは自分の愛するものや信じるものや自分の在り方を、理解できない人間がどんなJudge ジャッジを下そうとも自分自身や自分の在り方を変えるような事がない「強さ」と「ブレない自分の芯」を持っているので、周囲の反応によって彼らの本質が変わってしまう事はない - それも既にSatori 悟りという地点を通り過ぎた人の特徴と言えます(何でも型に嵌めたがり支配したがるこの世の中で、その影響を受けずに成長する過程で子供の心を失わず持ち続けたり自分の芯を保ち続けるには、前述の「精神的な強さ」「大らかさ・寛容さ」「強くしなやかな愛」といった様々な形で表現されるLove 主導で生きる姿勢が必要不可欠であり、ブレない軸もまた愛によって成されるものであるため)Dancing Ducky (訂正はここで終了)

このSatori 悟りも実は、いわゆるAwakening 目覚めとかSatori 悟りと言われるような地点に立っていない人でも、自然と人の人生の中で - 悟っていない人のそれはあくまでも疑似的ではありますが - 実現されていて、Nature 自然はそんな所でも人間に在るべき在り方を黙って見せて教えようとしているのです。幼い子供時代が終わり、学校に入って、様々な事に対して責任感を持つようになったり、更には大人になって、更に強く責任感を持つ事を当たり前のように世間に要求され、加えて自分のみならず自分の愛するものの幸せまでもが自分の双肩にかかっていると感じ出す頃が、もっともEgo エゴによるFear 恐れを強く感じて、色々なものと戦う必要があると身構えている、最も苦しい時期だと思います。所が、子育ても終わり、その頃には自分にも様々な衰えを感じ出し、肩の荷も下りたし、今更誰かに勝つとか見栄を張るでもないし、と思うようになり対外的な事に興味が薄れてくる頃(人によって違いますが、50代後半とか60代頃でしょうか - 還暦で子供に返ると言いますしね。ただ近年では、年齢が進んでも若々しく生きる事に執着する余りに、Ego エゴを更に引き摺る人も多くなっているみたいですが: 親切で席を譲られると怒りだす老人の増加もそのため。そう言う人は外見は年を取っていても、精神がまだまだ未熟なので、来世に期待です)、一般的には、それまでよりも精神的に【自由】になり人生は安定し始め結構楽に楽しく暮らせるようになります。色々なものに対する執着が手放せてきて、勝ち負けに対する拘りも薄れ、競争心や見栄から解放され羞恥心からも解放されるために【自由】に振る舞えるようになり、長い人生経験を経て「乗り越えられなかったものはなかった」わけですからFear 恐れを感じる事もなくなり失敗も問題も怖くなくなり多少の事では動じなくなり、そうしてStrong 強くなった分だけKind / Gentle 優しくなっていて、人に対して素直に褒め言葉も言えるようになり、焦らず騒がずとても寛容で大らかになります - それはまるでSatori 悟りの地点を通り過ぎた人のように。もちろん、悟っていない人のそれはあくまでも疑似的ではあるため、Awakening 目覚めとかSatori 悟りと言われるような地点に立っている人ほどが「恐れ=エゴ」を意識的に手放していない分だけまだ残っている部分もあり、また、上にも例を挙げたように年齢が上に上がっても「恐れ=エゴ」を手放せている度合いは人それぞれです。それでも - 一般的には - 多くの人が年齢の上昇(その間の経験の積み重ねが重要。年齢という数字が重要なのではない)に伴って、多くを経験しそれによって多くを学び強くなりある程度の自信も持ち心の余裕が生まれて【自由】になり、それによって穏やかな日々を暮らせるようになり、Awakening 目覚めとかSatori 悟りという地点に立つ人と似たような経験をしているのです。お母さんのお腹に居る頃の赤ちゃんや、まだ幼い子供の在り方に、人間が学ぶところがあるのと同様に、人生後半に入った先輩方からも私たちはあるべき在り方を学べるようになっているのです。どちらにも共通しているのは【Fearless 恐れない】で在ることです。以前にも説明しましたが、Fear 恐れはEgo エゴ特有のものであり、Love 愛=God 神様には恐れは存在しませんから、「恐れ=エゴ」の属性の【思考】を持たない状態は - それが例え無心・何も考えない状態であっても - 既に「愛=神様」の領域にいるという事です。

子供の話が出たので、子供についてのお話をもう一つ。人間はEgo エゴによって二元性のJudge ジャッジをする習性を持つため、すぐに目に見えるものや自分が既に知っている事を基準にして二元性のジャッジをし、その存在や状況や物事に対して「ラベル」を貼ります。それが「愛=神様」の属性の「ラベル」であれば - 「ラベル」貼りをして名前や意味づけを勝手にしたとしても - 「愛=神様」の属性の性質によって自分を高みに引き上げる事になりますが、「恐れ=エゴ」の属性の「ラベル」であれば「恐れ=エゴ」の属性の性質によって自分を引き摺り下ろす事になり、Ego エゴの立ち位置で言えば、その積み重ねによって人生を大きく二手に分けているのです(神様の立ち位置で言えば、その人のシナリオ上で、何を選ぶような人であるかもそれによって進む方向も道順も既に決まっているわけですが、どの地点からでも自分が「愛=神様」の属性を選ぶと決めるのであれば、そこでそう決める事もシナリオ上で既に決まっていたというだけの事ですから、いつからでも【自由】に選べばいいのです)。

上でAnimals 動物やNature 自然を見下して軽視するエゴのお話しをしましたが、全く同じように多くの人がやっている事に、「相手を見た目で判断する」と言うものがあります。これが如何に危険な事かはこのブログ内でも繰り返し触れてきましたが、右サイドバーに置いてあるクオートにもあるように、【神様は、人間に「目に見えているもの」ではなく、「自分の内面」に神様から送られてくる形で湧き上がってくる「心地良さ」「幸せ」「喜び」といった「愛」に基づく感覚(神様のGOサイン)を信頼しそれを指針にして進んで行く事をさせたい(幸せとは逆の「恐れ=エゴ」の方向ではなく、より大きな幸せに向かわせる「愛=神様」の方向へ進めるように)】ので、この世界の中には「目に見えるものが全く逆の本質を持つ」というものが多く散りばめられています: 「あなたをより良く、より豊かに、より強く、より賢くするものはあなたの外側には何も存在しない。それらはあなたの内面にあり全ては内面に存在している。あなたの外側で何も探し求めてはいけない」、「Everything starts from within. 全ては内面・内側から始まる」、「優しくなれる事は、弱さではなく強さである」、「本当のお金持ち程目立たないように静かに暮らし、大して持っていない人ほど大袈裟に飾り立て五月蠅く自慢し誇示したがる」、「お金でも物でも人より多くを持っている人が幸せに暮らして居るとは限らない」、「優しさは、強い人間によって用いられる一方で、横柄さや傲慢さは、弱い人間によって用いられる」、「幸せになるという事は、幸せになる為の努力をしないということ」、「豊かになる為には、今既に充分持っているという事を知り渇望しないでいること」、「より多く手に入れるためには、まず与える事」、「私たちは、他者を高みに引き上げる事によって、自分を高みに引き上げるのだ」、「勝つ方法は、他者が勝つ事を助ける事である」、「自分が与えるものは、自分に返ってくる」、「成功が幸せへの鍵なのではない。幸せが成功への鍵なのである」。前回のページでもお話しした、この世界のそうしたParadoxical 逆説的な在り方を理解し物事の本質を見極める目を持って「愛=神様」の属性の選択をしていくか、または全くJudge ジャッジをせずにありのままを受け入れるという「愛=神様」の属性の姿勢を取るか、という事が幸せな人生を生きる上での重要な鍵となります。

「見た目で判断する」事をしないようにしている教養を持ち合わせた人でも、見落としがちで当たり前のようにやっている事の中に「子供は未熟である」「自分よりも若いから未熟だろう」という年齢によるJudge ジャッジ・決めつけがあります。確かに子供の頃はどんな生き物も体が小さく脆いため庇護する必要がありますが、体が小さく弱いからと言って精神的な成熟度も自分のそれよりも低く精神的にも弱いだろうと考えるのは、目に見えるものや自分が既に知っている事に依存した単純で安易な決めつけに過ぎないと言えます。これは少し上で触れたように、年齢が上だからと言って精神的な成熟度も上がっているとは決して言えず、自分よりも遥かに年上であっても、一般的には疑似的にであれ悟った状態になるお年頃の人でも(多くの場合は、年齢の上昇による経験の積み重ねに伴って精神も成熟するのですが、中には)、驚くほどに「恐れ=エゴ」を抱えたまま年ばかり食ってしまって、小さい子供や10代の子たちに当たり前に持つ事ができる思いやりや優しさや心配りが出来ない人や、がっちりEgo エゴを抱えたままの状態で年齢の上昇によって羞恥心が薄れると同時に自尊心までもを失ってしまい(=自分を愛する事を止めてしまっている)、「傲慢」「横柄」「不快をばら撒く」などの振る舞いが平気でできるようになってしまう。

これは、Arrogance 傲慢とConfidence 自信が異なるものであるという良い例なので少し説明しておきます。Confidence 自信は、自分の「幸せ」や「自信」や「愛」が自立しているため、それらの為に他者を踏みつけにする必要がない事が特徴で、更に【自分で意識的にきちんと、自分が愛せる自分で居る為の選択をする】と言う意識を持っているためにSelf Esteem 自尊心を高く保つことができ、それ故に自分を貶めるような行為をしません。その一方で、Arrogance 傲慢は、自分の「幸せ」や「自信」や「愛」が他人の反応や他人の評価などの「自分の外側」の要素に依存しているため、それら自分の「幸せ」や「自信」や「愛」を得るため、または、維持する為に他者を踏みつけにする事を厭わなくなっている状態です。傲慢・横柄になる傾向にある人は精神が弱く自分で「自分の芯」を保つ事ができないため、必死に自分の利益を優先させるうちに自分を見失い、あるべき在り方を見失い、「自分が愛せる自分で居ることができているか」という思考・判断が欠落しています - 当然、Integrity 高潔さに欠け、「自分が愛せる自分」でいるための選択をしてきていない事を自分が一番良く知っているため後ろめたさや罪悪感を抱えており、きちんと自分を愛せていない為に自分に対する「自信」もいつまでたっても育たず、そのため劣等感やコンプレックスにまみれているので、それを隠そうとして更に傲慢で横柄に振る舞うという悪循環を繰り返します。

話を戻しますと、【年齢と精神の成熟度は、必ずしも比例しない】ので、本質を見極めようともせずに安直に「年齢(数字)」という単なる「ラベル」に騙されては、「種別」「人種」「性別」「見た目に対するジャッジ・決めつけ」「自分で経験したこともないものへのイメージだけによるジャッジ・決めつけ」「出身校名」「社名」「持ち物(名前・数字)」「肩書(名前)」「年収(数字)」「成績・業績(数字)」「転職回数(数字)」「友達・フォロワーの数(数字)」などなど他の「ラベル」同様、折角の自分が成長したり上昇するチャンスを取りこぼす事になります。

このブログのどこかでも以前お話ししましたが、私は子供が赤ちゃんの頃から、子供は神様から借りているもので、自分の所有物ではなく一つの別人格であるという感覚があり(子供の成長と共に子育てに必死になる余り、途中それを見失った事もありますが)、更に子供が成長するに従って、子供は自分をサポートするために来たのだという感覚を覚えました。以前、沖縄で暮らして居た頃お世話になっていたユタの方に、初めて子供と会いに行った時にも、テーブルに付かずに畳で遊んでいる私の子供にユタの方が目を向けてすぐ「あー、この子は大丈夫」と言ったきり、その日はほとんど私の話だけをした、という経験もあり、「この子は私を助ける為に来た」と言う感覚は、今でもずっと持っていてその存在に感謝しています。当然、それを実感するような出来事は数えきれないほどありますから、うちでは、「子供の方が絶対に私よりも転生回数が多く成熟した魂なんだ」というのが定説になっていました。そして、精神性の事を学んでから、偶然を装って神様が見せてくれたものの中に、「生まれ変わりの話」と「子供が親を選んで生まれてくる話し」があり、一般的には生まれた時の記憶は忘れてしまうのが普通でしょうが、それでも少なからず、『自分は親を選んで生まれて来た記憶がある』とおっしゃる方が居ます。その中でも、はっきりと生前の記憶があり『生まれてくる前、親を選びなさいと言われたので、弟と一緒に親を選んでいた時、一番頼りなさそうに見える人が見えたので「あの人、頼りなさそうだから、私たちが行って幸せにしてあげようよ」と弟と話して決め、「私が先に行くから、後からおいでよ」と弟に言って自分が先にお母さんのお腹に向かって出発した。そして、数年後弟が生まれて来た時も、自分は「やっと会えたね」と言った。もちろん、今では弟が成功して親を幸せにする事ができた』とおっしゃる方がいらっしゃいます。この時、子供の頃にラジオで聞いたある会話を思い出しました。私が子供の頃、「子供電話相談室」というラジオ番組がありました。ある時番組内で、身長が伸びず親より背が高くなれるか心配だという子供から電話で相談がありました。その時、対応をしていた先生が「子供は親よりも優れた要素を持って生まれてきます。でなければ、世界は進化できませんからね。だから多くの場合は、自然と親よりも背が高くなるものです」と答えていたのを、思い出したのです。その時、うちだけでなくどこのおうちでも、【子供は親よりも精神的にMature 成熟した状態生まれてくる、子供は親よりも優れた要素を持って生まれてくる】、だからこそ、全である世界は進化できるのだ、という事がすっと腑に落ちました。

きっと、「子供は自分よりも未熟で劣っている」「親である自分は子供に勝っているべきだ」と決めつけて子供を見ている人の目には、「エゴの目隠し」が懸かって、子供はいつでも危なっかしく頼りなく、いつまで経っても自立できないように見えるでしょう。だからこそ - もちろん子供の幸せを願っての事ですが - 子供に任せておけずに「これをやりなさい」「こうしたら幸せになれる」「これをやったら成功できる」と子供の人生のありのままを許さず、何かしらの方向に無理にでも引っ張ろうとするのでしょう。しかし、子供はあくまでも親とは別人格であり、子供には神様が子供自身に与えた使命がありますから、親がどんなに良かれと思う道でも、その子にとっての最善であるかは分からないのです - ましてや、親の方が転生回数が少なく精神的に未熟であるなら(時代は流れ、いつでも状況は変化していき、世界はいつでも進化していますから、親の時代の「正しさ」が子供の時代に当てはまる保証もなく)、自分が人生を通して知り得た事を子供に教える事はできても、「これが私の知っている事。後は自分で経験をしていって、何が自分にとっての正解なのかを自分で選びなさい。親が正しいと思っている事だって、あなたにとって正しいとは限らないからね」そして、「どんな結果になろうと、私は変わらずあなたを愛しているから安心して、自分を信じて、思い切り【自由】にやりなさい」と言ってあげることしかできないのです - 親だって結局は(一般的には)その子の面倒をその子が死ぬまでみることなんかできないのですから、あくまでも子供の人生のキャプテンは子供自身であり、他の誰にも - 親でさえも - 代わりに選択する権利はないのです。あくまでも子供個人の【自由】を奪わない形で、子供の「好き(愛)」や「やりたい」や「やりたくない」を尊重していけば、神様が子供の内面で進むべき道を指し示すサインを出しているのですから、子供は神様のシナリオ上で決められている自身が進むべき道を進んで行けるのです。つまり、その子に何が向いているのか、その子は神様にどんな才能を与えられたのか、その子が幸せに生きるための最善の道を知りたいのなら、子供に【自由】に選ばせることが一番なのです(まぁ、何らか非凡であるから才能があるとか天才とか称されるわけですから、人と同じであったり、人と同じ道を通っていても、才能を発見したり開花させたり天才と呼ばれるレベルに達するのは難しく、子供の才能を発掘し伸ばしたい、あるものに特化し天才というレベルに到達する可能性を子供に与えてやりたいと思うのなら尚の事、親は慌てず騒がず子供を焦らせず、大らかに構えて最大限の安心感と【自由】を子供に与えて本人が「やりたい」という事をやらせ、「やりたくない」という事をやらせない【勇気】を持つ事が重要だと思います)。それなのに、親である自分が叶えられなかった夢を自分の子供に背負わせたり、自分が「幸せになる」「成功する」「お金になる」と思い込んでいるものを押し付けて子供に無理させたりするのは、

親が「一般的な人は5枚の花弁しか持たないけど、これで10枚の花弁が持てるから(10枚、スゴイネー)」と言いながら子供を人のものより少し大きな植木鉢に入れてあげたと信じて - 実の所は、押し込めて - 結局は窮屈な思いをさせるようなもの; 自由を与えようと大地に生えたままにさせゆったりとした気持ちであるがまま自然に任せておけば - それが例え、植木鉢にも入って無かったり、他の花より遅く咲いたりして、他人からすれば普通とは言えない形であっても、焦らず騒がず穏やかな愛と共に信じて見守れば、結果的には - 500枚でも1000枚でも花弁を付けたり大輪の花に成ったり、今迄この世界に存在しなかった色や香りを持つ貴重な花に成ったり、つまりエゴには想像も付かなかった程の素晴らしさを持つ比類なき一輪になれたかも知れないのに…

というような可能性を孕む事であると言えます。とは言え、自分の為の「神様のシナリオ」があるように、子供にも神様が用意してくれたシナリオがあります。親が気付いて、Ego エゴを手放し、子供を自由へと解放してあげたなら、それがその親のシナリオであり、その子のシナリオということ。また、親が気付かずに子供を縛り続けたからと言って、その子供が縛られっぱなしでいるか、自分で親からのエゴの鎖を断ち切って自力で自由へと飛び立つかは、その子供のシナリオ次第という事です。誰の責任でもなく、誰の間違いでもありません。自分のシナリオがどんな形であれ、(今世か来世か、タイミングは人それぞれですが)いつかは必ず、【自分と他者の両方の自由を尊重できる】地点に、誰もが到達します - 神様はどんな手を使っても皆をそこまで連れていきますから。ただ一つだけここで付け加えるなら、【他者の自由を許せないのは、自分が自由じゃないから】です。それは、【他者の幸せを許せないのは、自分が幸せじゃないから】というのと同じです。そして、この世界はKarma カルマによって『自分=世界』という法則になっていますから【他者を縛って自由や幸せを奪えば、やがて自分の自由や幸せも奪われる】という事を忘れてはいけないのです。でも、それはちゃんと自分を愛して自分に自由を与えて、自分を幸せにすれば、やがて、他者にも自由と幸せを許せるようになるので、【Love yourself 自分を愛する】事で、自分でエゴの負の鎖を断ち切り、自分自身と、自分の子供を含めた他者(人でも動物でも自然でも)が自由にありのまま居る事を許せるようになります。これができるようになれば、あなたが親という立場であれ子供という立場であれ、その時点から【自分は、自分と自分の世界を自由にした】という事になり、Kingdom of God 神様の王国へ足を踏み入れた(世界のルールに流されて無意識的にただ存在しているだけでなく、自分のルールを以って意識的に「自分」を生き始めた、つまり、本当の意味での「生きる」という事を始めた地点)という事になります。例えばその時点で、自分の親がまだエゴに囚われていようと(エゴを抱える親を変えようとしなくていい。ありのままを許せばいい。それがその親の持つシナリオなのだから)、そんな事には関係なく自分は【自分と自分の世界を自由にした】ので、自分はエゴの領域を卒業したという事であり、その先は - もう今のレベルには合わない役目を終えた人たちや物や出来事は去り姿を消すこととなりますが、成長した自分と同じようなレベルの人たちや物や出来事が新たに集まって来て(ちなみに、自分の子供は生まれた時から既に自分よりも精神的に成熟していますから、親である自分の精神の成長に合わせて精神を成長させることは子供にとっては造作もない事です) - 先に起った自分の内面・心・マインド・精神の変化に合わせるように・付き従って自分の持つ【自分の世界】は形を変化させながらより幸せな状態・次のレベルへと進化していきますBuwoって飛ぶ

ここで「神様の愛」=Nature 自然の在り方そのものを解りやすく表している出来事をご紹介しておきます。



28年間もクジラを守る(愛)ため研究を続けている科学者である女性が海でシュノーケリングをしていたところ、クジラが真っ直ぐ彼女に近づいてきました。クジラは彼女を口先で押し続け、クジラを押し返して遠ざけようとしても、クジラはすぐに彼女の元へ泳いで戻ってきます。彼女はクジラに押されてクジラの頭や顎やヒレの上を転がり、何が起こっているのか分からず怖くなりました。クジラに促されるようにして水面に顔を出した時、助けを呼ぼうとして彼女は気付いたのです - 近くにサメが居た事を。クジラは10分以上もの間、体の大きな自分はサメに襲われにくい(絶対にではないので、危険を顧みずに彼女を守ろうとした事には変わりありません。クジラはアザラシを自分のヒレで隠しシャチから守る事もあるそうです。『強いものは弱いものを守る』 - お腹が空いていない、または捕食対象ではない限り、自然では当たり前のルールです)事を知って彼女の側にピッタリと付き、更には自分の体で彼女をサメから隠していたのです。人は理解できない事を見たり経験する時に、俯瞰して全体を把握・理解することができないためにFear 恐れを感じます(エゴは矮小な存在なのでエゴに解らない事は多く、それ故に恐れる)。しかし、全ては「神様の完璧」「神様の愛」であるため - エゴである人間にとってはその最中でそれは「問題」のように見え、恐怖を感じ、痛みを感じ傷つき、苦しくて壊れそうだと感じていても - それは決して人を傷つけようとして、壊そうとして起こっていることではないために、それが過ぎ去ってみると「私は助けられたんだ」「今のこの幸せの為に必要だったからあれは起こったんだ(ああ見えても、この幸せに導かれていたんだ)」と気付くのです。ですから、この時、恐れずにクジラに身を任せておけば、ゴロゴロと転がる事も、怖い思いをすることもなく、もっと楽にサメから守られたでしょう - このWhale クジラのお話しは、まさに、エゴ(個・分離)を持つ私たちが自然・神様・宇宙(全・一体)の中で「現実」として経験しているその流れが端的に表れている出来事です。

私も今迄の間に3回、「死ぬかもしれない」と感じたことがあります - 1度目は大学時代にこの科学者の彼女のように自然の中に身を置いていた時に、2度目は海外から帰国してまだ間もない頃に旧友を送り届けるために車で高速を走っていた時に、3度目はアメリカ人のEx-Husbandと別れる時に。3回ともそれぞれ異なる方法で神様に助けられているのですが、1度目は「もういいかな」と生への執着を手放した瞬間にそれまで不可能に見えてた所から救済がやってきて、2度目は「あと一瞬で手遅れになる」という瞬間に(怖いという感覚は全くなかった)、目と手と足が凄いスピードで反応して(男友達が「何今の?すげーな!」と驚くくらい、一般的な対処法とは真逆の行動に出て)驚きの対応と共に大事故を免れ、3度目も「別にいいや」と思った時に状況が一変しました。1度目と3度目の2回は神様が世界を動かして、2度目の1回は神様が私を動かして、この3回とも神様が「いや、あなたはここでは死なない」というように不思議な感じでこちら側に引き留められたような感じでした。精神性の事を学び始めた頃『Let it go 手放す』について考えていた時に、これら全てのケースで私が「生への執着」や「Fear 恐れ」を手放せていた事に気付いて、『手放せば叶う』も、【シナリオに無い事は、どんな事があっても起こらない】も、納得せざるを得ない気持ちになったのを覚えています(【シナリオにある事は、どんな事をしてでも神様は必ず起こす】も、別のケースで経験を通して学びました イヤホントニたらー 冷や汗 雫)。

私が私の体という器を持つ限り、私は死ぬまでEgo エゴ(個)であるため、どんなに悟ろうとも神様のシナリオを知る事はできません。しかし、私は今でも「やりたい」事(夢・願望)が沢山あって、それはPreview 予告ですから、それらを経験し終わるまでは私は死なないと信じています。また、『Everything Starts from within. 全ては内面・内側から始まる』であり、『Karma カルマ - 自分から発するものと同質なものが自分に返って来て自分の経験となる』のであるなら、私は自分が信じている事を経験するのでしょうから、やはり当分死なないと思います。しかし、神様のシナリオの全貌を知る事が出来ない以上、「そうはならない」というシナリオだってあり得るわけですが、私はGod is Love 神様が愛であり、何が起こったとしても起こった以上あはそれが「神様の完璧」「神様の愛」であり「神様が私の為に選んだ最善」であることも信じていますから、何であれ結果的には神様は私に悪いようにはしないので、「そうはならない」が起こったとしても、私も私の愛するものも困る事はなく、私と私の愛するものが幸せに感じるような結果になるだろうと思っていますから、自分の予測通りになる事に固執する事も、生に執着する事もなく、また、精神性の事を学んでから私は、自分の中に湧きあがる「心地良さ」や「幸せ」や「好き(愛)」や「自由」などの感覚といった自分の愛に基づく「自分の基準」に従って、自分が「やりたい」と思う事を「やりたい」と思う時だけ「やり」、「やりたくない」事や「やりたくない」時には、「やらない」という自分のルールで生きる事を徹底するようにしていますから、私がRegret 後悔する事はありませんので(そんな私の事や私の人生を他人がどう思い、どうJudge ジャッジしようと、そんな「私と神様の間の事に対して何の力も持たないこと」は二の次どころか百の次くらいどうでも良い事ですしYoshio Kojima Sonnano Kankehne icon.gif)、神様が私の為に最善と思って選ぶ事は「そうなる」でも「そうはならない」でも、エゴである人間が選ぶものよりも素晴らしいものですから、それが何であれ、Fearless 恐れる事なく安心して何にも縛られる事なく自由でいられますPink diamond spinning

Nature 自然・God 神様・Love 愛・Universe 宇宙・World 世界・Whole 全と、呼び方は何でもいいのですが、その人知を超えた力の前では個であるEgo エゴは全く無力です - 【神様のシナリオをエゴは変えることなどできない】、まずはそれを肝に銘じて、コントロール欲をすっかり手放す事です - コントロールなどできないのですから。しかし同時に、私たちはエゴのプラスの部分というアドヴァンテイジを使って幾らでも自由に自分のマインドで夢や願いを思い描くことを許されている、そしてそれは私たちが現実で経験する事のPreview 予告なのですから、実質、私たちは何だって経験する事ができるのです - これは神様のシナリオを書き換えられているわけではなく、あくまでも、Dreams 夢やWishes 願いがPreview 予告であるからそれを経験する未来が『既にある』という事を知ったと言うだけの事ですし、予告であるから、今ここで人生を作り変えたのでもシナリオを変えたのでもなく、その地点で自分がそれを選んで経験すると決断する事が、既にシナリオ上で決まっていた必然だったというだけの事であり、神様のシナリオはエゴが想像する道筋で、エゴが想像する形で、エゴが想像するタイミングではないかも知れませんが、エゴである自分が幸せに感じるような形で(神様に任せておけば、多くはエゴの予想を遥かに上回る形で)、特に特別な事をしなくても自分では気付かないうちに自然と準備させられて、やがて経験する事となるのです。

Dreams Wishes 願望を持ってから「既に叶っている未来」に到着するまでの間(自分が「夢や願望や欲求に気付いてから」という意味。夢や願望や欲求は「叶った未来が既にある」という予告ですから、自分がそれに気付いた時に生まれたというわけではなく、あくまでもその時点で自分が『既にある』それに気付いたというだけ。「叶った未来」は神様のシナリオ上で太古の昔から存在しているので、自分が気付くずっと前からその為の準備は - 自分の目には見えなくても - 始まっています)、そこまでの時間というのはすぐである場合もあれば何十年後である場合もあり、それは神様が最善とするタイミングですからエゴ(個である人間)には分からない(しかし、そこに辿り着けばそれが如何に完璧なタイミングであったかがエゴにも解る)のですが、その「自分の内面」で認識してから「自分の外側」で経験するまでの間をどうやって過ごすかについて、「これは解りやすい」と家族に言われた例でお話ししますと、例えば【Seeds 種を地面に植えました。それをまだ芽は出ないかまだ芽は出ないかとチラチラと様子を伺っていたり、鳥に嘴で掘り出されて食べられてしまうのではないか猫や犬が掘り返すのではないかと心配して見張っていたり、そんな風に芽が出るのを待っていたら、心配やストレスに心は蝕まれて他の事は何もできずその間に感じられたはずの幸せも台無しにして挙句の果てにもう芽は出ないのかと絶望し始め、その所為で、土の中で芽はすくすく育っているにも拘わらず、自分の目には見えないというだけで、自然に任せておけば充分なのにわざわざ重たい思いを我慢しながら運んできてはやたら水を上げたりやたらと高い肥料を与えたり、芽をスコップで掘り返したりして、芽を傷つけてしまったりする - 結果として、種は土に植えて放っておけば2日もすれば自然と芽は出たとして、その2日を種の事なんか忘れて自分が好きな事をして楽しんでいたらあっという間のことなのに、2日も好きな事もせず寝ずの番をしながらいつになるのか分からない不安な状態で待っていたら心も体も疲れ果ててささくれ立ち2日でさえ永遠のように感じてしまうでしょう】という事です。だから、『Love yourself 自分を愛して』、自分がやりたいと思う事を自分にやらせてあげて、やりたくない事は自分にやらせないであげて、自分を大切にしながら、いつでも自分に幸せを感じさせておきなさい、そうすれば、ふと気付けば元々は神様があなたの中に植えたDreams Wishes 願望という名前のSeeds は必ず芽を出しているものだから - 自分からは見えなくても、目には見えなくても、必ず成長・進化は進んでいます。そうです、必ずです: 神様があなたの内面に植えた種は、あなたがその存在を忘れていても、叶わないと諦めていても、傷ついたり枯れているように見えても、死んだわけではありませんから、必ず、何十年経っても、神様が完璧と思うタイミングが来れば急に思い出したように芽を出して叶います(これも経験済みです)Bud icon これを読んで、誰かに「そっか、随分前に諦めてた夢があるけど、あれはPreview 予告だったんだ。じゃ、『叶った未来は既にある』んだから安心して自分が好きな事でもして楽しんでよう」と、ちょっとワクワクした気持ちを味わってもらえたら、せっせと言葉の種を落としている私にとってこんなに嬉しい事はありませんAngel Cat icon

Air Bubble Icon Baby Sea Turtle icon Air Bubble Icon

と言う所で、今回の言葉「Water World 世界」についてのお話しをします。上で書いたように、【私たちは生まれる前お母さんのお腹の中に居るほどに小さな赤ちゃんの頃、何も恐れるものが無く、自分が生きる為に必要な物は当たり前に自然と供給されて、お母さんのお腹と羊水というクッションに守られて、快適温度の中ですくすくと育ちます】が、エゴである私たちにどう見えていようとも、私たちは今も尚、そういう状態にあります(本当は生まれて来てなんかいなかった)。Zhuangzi 荘子の胡蝶の夢のように、私たちは夢と現実のどちらが夢でどちらが現実であるのか、本当の所は目には見えないために知らずにいて、本当はお腹の中の赤ちゃんのように水中で身を任せて楽な姿勢で浮くようにしていれば、必要なものは全て豊かに神様に与えられて、どこか行ってはいけない場所に流れていってしまう事もなく、ぬくぬくと楽に生きられるEasy Mode イージーモードな状況に置かれているのに、それに気付かずに「必要なものは自分で手に入れなくてはいけない」と信じてわざわざHard Mode ハードモードを選んで現実を難しくしながら生きているのです。私たちはお腹に居る赤ちゃんのように、何も疑わずに安心して自然の流れに身を任せるなら、この世界はお母さんのお腹の中のように私たちを守り全てを与え私たちが快適環境ですくすくと育つようにと万全のサポートをしてくれる仕組みになっています - お母さんである世界も赤ちゃんである私たちの成長を幸せに感じながら。これもNature 自然が黙って人間に見せる事で、人間に在るべき在り方を教えようとしている例ですね。

Go with the flow 流れと共に行きなさい - これはあくまでも「自然の流れに身を任せて行きなさい」という事で、自分の中に湧き出る愛に基づく「心地良さ」「幸せ」「好き(愛)」「やりたい」「自由」「安心」などの感覚を基準にした「(神様が自分に与えた自分が自分であるための)自分の基準」に従って、物事を選択していく【自分のルール】で生きるという事と、起る事を「良い事」「悪い事」とJudge ジャッジする事無く、ありのままで完璧であるという事を受け入れて、自分が【自分のルール】で生きる自由を自分に与えるのと同じように、世界にも自由を与えてありのままを許す(手放す・放っておく・それでいい)という事の双方で成り立ちます。従って、次に起る事を恐れず、ありのままにさせ、いつでも心を『今ここ』に居させることで「後悔」や「心配・不安」という思考を持たず、ただその時その時の『今ここ』で、いつでも自分や自分の愛するものが「幸せ」に感じるような「自分にとっての最善」を妥協せずに選び取り(世界から受け取り)、その時その時の『今ここ』で、自分のできる限りをケチらずに自分の持てる全てを投じて(もちろん、自分に我慢や無理や犠牲は強いない)、「自分にとっての最善」と思える「やりたい」と感じた事を「やる」(世界に与える)、という姿勢で生きる事ですアップ 赤 絶対に間違ってはいけないのは、『Go with the flow 流れと共に行きなさい』という言葉は、God 神様が自分の為に創ってくれた自分の為の自然の流れ(自分の心に湧く愛や幸せに従っていけばいい、という自分に自由を与える心地良い流れ)に身を任せなさい、という意味であって、決して、他人が自身の利便性や利益の為に作った「他人の基準 ・世界の基準」である、他人の評価、他人の反応、他人の好き嫌い、既存のルールや、他人の決めた基準や、他人の意見によって「当たり前」と決められ押し付けられる「縛り」や、他人の評価に依存している成績・業績・友達やフォロワーの数・収入・金額・ランキング・偏差値などのありとあらゆる数字、他人の基準で決めた「名前」や「肩書」や「ブランド」、政治や業界とメディアが結託して人々の流れを操ろうとして操作する情報、パンデミック、プロパガンダ、流行・ブーム、事実を伝えるに留まらない恐怖や焦りを煽るまたはでっち上げの良すぎるイメージをばら撒く広告、誰かの利益の為に大衆が踊らされて騒ぐ「他人の好き」または誰かの利益の為に恐れを煽る「誰かの嫌い」…などのEgo エゴの流れに付き従えという事ではない、という事です。そういった「自分の外側」の要素や、自分のものでも他人のものでも「恐れ=エゴ」に基づいた流れは、神様(=愛)が自分の為に用意してくれた自然の流れとは反対に、自分から自由を奪う不快で苦しい流れとなりますダウン 青

気付かなくてはいけない事は、お金も肩書も他人の評価も、それ単体では自分を幸せにする事はできないものであるという事です。お金があれば、他人に認められれば、肩書があれば、良い学校に入れば、有名な会社に入れば、ブランド物を持てば、権力者のコネを持っていれば、成績・業績が良ければ、友達・フォロワー・支持者が多ければ、「幸せになれる」「成功できる」と信じている人は多いですが、繰り返しお話ししているように、それらを充分に持っていても、幸せじゃない人や成功から転落している人は沢山いますから、それらは「幸せ」や「成功」や「豊かさ」や「自由」を決して保証しないという事を、しっかり理解するしっかり理解する事です。その一方で、これも以前にお話ししたように、Love 愛はそれ単体で完結する事ができる、存在するだけで完璧というものです(God is Love. 神様は愛。愛は神様)。isaさんの『自愛』やLove yourself 自分を愛する事をちゃんとやっていたり、子供や動物という「見返りを期待できない相手」「無償の愛を注げる相手」を本当の意味で愛していたり、本当に誰かを愛した事がある人や、本当に何かを愛して打ち込んだ事のある人には理解できると思いますが、相手が愛し返してくれる事(見返り)も、相手を愛する事で得られるかも知れないもの(結果)も、自分が愛している対象・相手の事や自分がそれをを愛している事を他人が好きであるかないかも、自分がそれに愛を注ぐ事を他人がどう評価するかも、一切関係なく、ただ自分はそれを「愛したい」と感じるものですし、愛するものを「愛して」いれば自分が「幸せ」に感じる事ができるものです(見返りや一定の結果を期待しているのなら、それはLove 愛ではなく、執着や束縛というEgo エゴです)。愛は「愛している」それだけで「幸せ」に感じる事ができる、愛は単体で自分を「幸せ」にすることができ他者も「幸せ」にすることができる、愛は単体で完全を成すものです。ですから、自分で自分を愛するだけで自分を幸せにすることが可能なのであり、isaさんの『自愛』やホ・オポノポノが自分の中で愛を感じるだけで現実で様々な効果を発揮するのです(指一本動かさずに家電も直せます。これも経験済みです)。そして、先に挙げたような「自分の外側」の要素である、お金や肩書やあらゆる数字やラベルや持ち物は自分にLove 愛を運んでくることはありませんが(Money can't buy Love お金では愛を買えない。お金で買えないものは他にも尊敬・品位・信頼・人格など色々あります)、「自分の内面」の要素であるLove 愛は、自分にそれら「自分の外側」の要素を無理なく自然と運んでくることができますgift

とにかくいつでも、如何なる要素であっても「自分の外側」の要素を指針にしたりそれに依存するのではなく(それは【世界のルール】で生きる事であり、自分を「他人の奴隷世界の奴隷」にすることです)、必ず「自分の内面」(自分の中の神様)に尋ね、自分の中に湧き出る愛に基づく「心地良さ」「幸せ」「好き(愛)」「やりたい」「自由」「安心」などの感情・感覚を基準にした【(神様が自分に与えた自分が自分であるための)自分の基準】に従って - 他人の反応や起りうる結果を恐れずに、他人や状況や環境に左右されずに - 胸を張って堂々と物事を選択して、【自分のルール】で生きること - そうするなら、自分を愛してin Love Smily進むのですから神様が用意してくれた自分の為の自然の流れに乗ることができ神様の後ろ盾と追い風を得る事ができますDove of peace icon.gif


I'm not here to fit into your world. I'm here to make my own.

I'm not here to fit into your world. I'm here to make my own.

私は、あなたの世界に自分を合わせフィットし・他人の作った型に嵌るために、この世界に生まれて来たのではない。私は、(【自分のルール】で生き)自分の世界を造るためにここに来たのである。


基本原則である、【いつでも、「愛=神様」は自分を高みに引き上げ、自分のものであろうと他人のものであろうと「恐れ=エゴ」は自分を引き摺り下ろす性質のため自分で「恐れ=エゴ」を選べば自分を自分で引き摺り下ろす事となる】という事は、覚えておけば、「神様が自分の為に用意してくれた自然の流れ」と「大衆・他人・世の中・世界が彼らの為に作った流れ」とで選択を迷う事はなくなると思います。

自分=世界』 - 世界は「自分の内面」(心・頭・マインドにある信念・観念・概念・繰り返し意識を向け続けるような思考)に付き従っています。世界は自分の内面にあるのもの(信念・観念・概念・繰り返し意識を向け続けるような思考)が示す自分の「見たい(好きなものばかりではなく、嫌いなものに強力に意識を向ける事も同様に、自分が信じていることであり、「それを見ようとしている=経験しようとしている」というStatementである)」に従って、自分が「見たい」もののような顔を見せるのです。ですから、自分が他人が彼ら自身のために作った【世界のルール】に従って生きる事を選ぶなら世界は、自分が【世界のルール】に従うための顔を見せる - 自分が「世界に従う」従いたいと望んているから、世界は自分のその願いを叶えて「従える」ような環境を整えてあげたのです。でもWorld 世界・Nature 自然・Whole 全はGod 神様であり、Love 愛ですから、「【世界のルール】に従ってても(世界へのFear 恐れ)幸せの方向には進めないよ。【自分のルール】に従っていけば(自分へのLove 愛)幸せの方向に進めるのに。本当に、【世界のルール】に従うのでいいの?」と、あくまでもエゴ(個)である自分の幸せを願っているので、世界のルールに従う事を選んでいる自分に「不快」「苦しい」「痛い」という感覚を感じさせて、「(幸せは)そっちじゃない」ことを教えようとしています。世界は「そっちじゃない」と知っていても、エゴ(個)である自分にそれを「見たい」と言われたら、それに応えて見せるしかない程に、エゴ(個)である自分が内面で信じている事に、自分の内面に世界は付き従っているのです。ですから、自分が【自分のルール】で生きる事を選ぶなら、世界はエゴ(個)である自分が【自分のルール】で生きる事を経験できるように、顔を、姿かたちを変えて見せてくれる、つまりそれは可能になるのです - すぐにそれを実感させるものも見えるでしょうし、直ぐにはそう言う風には見えないものもあるでしょうけど - God wins in the end. 最後には必ず神様は勝ちますから(=愛は勝つ) - やがて必ず、全ては自分が自分の内面で信じている通り【自分のルール】で生きるという自分の形に沿って世界は完全に形を変えるのです。大事なのは、一度そう決めたら、世界が自分の形に沿わせて完全に姿形を変えるまで、「世界は今、自分の形に姿を沿わせて・合わせて変えている最中である」と知って、自分の内面の力・心の力を信じることを(=愛することを)、World 世界・God 神様・Nature 自然の自分に応えようとする自分に対する愛を、決して疑わず諦めず、愛し抜き信じ抜く事です。それは水中やお風呂の湯舟などでは肺に空気を一杯に吸い込んでも、体は急に一気には上昇せず、肺の空気を思いっきり吐き出しても、体がすぐに一気に下降することもなく、しかしそれは確実に作用するのと同じです。確実に作用しているのに、目には大きな動きが見えないからと言って最後まで信じ抜くことをせずに状況をJudge ジャッジすれば、「世界は変わったような変わらなかったような…」程度の感覚しか味わえず、また自分が信じるべきものを見失う事になります。しかし、自分が全幅の信頼を世界に預けるなら(先ず、Give 与える)、世界は世界の全部を与えてきます(そして、Take 得る)】。実際の所は、自分が世界・神様・自然に対して信頼をし始めた時に、初めから神様は全てを与えようとしていることに気付き、全幅の信頼をおけるようになった時、初めから神様が与えようとしていた全てを余すとこなく受け取る準備が整った、という感じで、そこからは時間の経過と共に自然の流れの中でその時その時で「神様の愛」を受け取っていきながら、「愛=神様」の「無限」という属性に於いて「どこまで自由になれるか」、「どこまで最高の自分になれるか」、その時その時の「Here Now 今ここ」を自分と自分の愛するものを愛しながら思いっきり楽しむだけですVideo Game icon.gif それは、Diver ダイバーが水中でNeutral buoyancy 中性浮力をとるように; 幾らでも好きなように自由に動けて、もちろん逆に幾らでも好きなように静止して動かない事もできて、幾らでも自由な体勢をとれ、水の中でどんな高さでだって飛ぶ事だってでき、水はいつでもピッタリと私の体の動きに自らを添わせながら私の体を柔らかく、しかし、しっかりと支えながら私の【自由】を受け止めてくれる - 私がプロダイバーだった頃に、中性浮力のあの感覚がたまらなく好きだった理由が今解る気がしますBaby Sea Turtle icon

『Everything Starts from within. 全ては内面・内側から始まる』のですから、「自分の内面」(心・頭・マインド)が自由なら「自分の外側」も自由な筈です。自分が自分を「愛している」のなら世界も自分を「愛している」筈です。自分のお家の中が「平和」で「幸せ」なら家の外の世界も「平和」で「幸せ」な筈です。家族に「愛されている」のならおうちの外の他人にも「愛されている」筈です。社内が「愛」と「幸せ」に満ちているなら社外の人たちも「愛」と「幸せ」に満ちて満足している筈です。国が国民に「愛されている」ならその国は国外からも「愛されている」筈です。本来、「お家の中は安心。でも、外に出たら危険」ということは無い筈なのです - God 神様はにとってはNo boundary 境界などありませんから(それなのに「お家の中は安心、外に出たら心配」と信じている人は、エゴによってその証拠になるようなものを見せられて現実で「お家の中は安心。でも、外に出たら危険」を経験しているだけです。「お家が安心なら、外も安心」を信じるなら、本来元々はそうであるから、それが見えて来てそれを経験する事となります)。海の中のようにNo boundaries 境界はない - それでも水温の違いや塩分濃度の違いや海流など、そしてそこに暮らすそれぞれの「好き(愛)」の違いによって出会うべきでないもの同士は出会わないように神様に管理されていて(そこに棲む生き物たちが海という世界を管理・統治・メインテインしようとしなくても)生態系は完璧を成しています。ですからEgo エゴの狭い視野と見識で、勝手に境界をでっち上げて造ってしまわないことです; そんなものはIllusion 幻想でしかなため本来は存在していない(元々神様は課していない)もので、本来はただただ自分と世界を愛して・信頼して自由に動くだけで、自然と棲み分けが叶って、万事が万全に整い、互いが幸せに暮らせるようにできているのですからHomeBlue Marble Icon

True success is creating your own definition, then living that.” - Striking Truths

True success is creating your own definition, then living that. - Striking Truths

本物の成功とは、自分だけの自分の定義を設けて、それを生きる事である。

ここまで、この世界の仕組みや人生を幸せに生きる為に必要な事は気前よく書いてきましたので、あとはそれぞれが、どれだけ自分が自分と世界を愛して信じられるかにかかっています - 要は、どれだけ自分が「Fear 恐れ=Ego エゴ」や「自分の外側」のいかなる要素でもなく【Love 愛=God 神様】に重きを置けるかです。それは、自分で「やりたい」「そう言う風に生きたい」と望んで、「やる」「そう言う風に生きる」と自分がDecide 決断するなら、無理せず我慢せず頑張らなくとも、自分でも気付かない間に、自然とそういう流れで進んで行きます。自分の中に夢や願望や欲求が湧き上がってから(実は、そうやって自分が夢や願いや欲求に気付く前からとっくに叶った未来の為の準備は始まっています)毎瞬、確実に、止まることなく - 自分にはそうは見えなくても - 自分はPreview 予告で見た地点に自然と運ばれているのですからChrysalises Pupa iconRainbow Flapping Butterfly だから、安心して、今ここで自分を愛して、自分の愛するものを愛していつでも【自分のルール】に忠実に、それ以外の事には目もくれずに自分と自分の愛するものを愛して幸せにする事に集中して(自分の内面で感じる「Love 愛」「Happy 幸せ」「Freedom 自由」は、確実に自分の成長や進化を促しますから。これも経験済みです)、肩の荷を下ろして楽になって自分という存在と自分の人生と自分の世界を楽しんで、いつでも幸せでいればいいのです。神様は、私たちに幸せで居て欲しいと、Heaven 天国と同じ世界を地上にも創って私たちを招いたのですからキラキラCrown iconキラキラ

There are only two ways to live your life : you can live as if nothing is a miracle ; you can live as if everything is a miracle.” - Albert Einstein

There are only two ways to live your life : you can live as if nothing is a miracle ; you can live as if everything is a miracle. - Albert Einstein

人生には二通りの生き方しかない。奇跡など全く起らないかのように生きるか、ありとあらゆる全てが奇跡であるかのように生きるかである。” - アルバート・アインシュタイン / アルベルト・アインシュタイン


Do, or do not. There is no try.” - Yoda

Do, or do not. There is no try. - Yoda

やるか、やらないか。ちょっと試してみる、というのはないのだ。” - ヨーダ





Flying Turtles(BGM入り) Flying Turtles on Facebook(BGMなし)



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Caned Soup icon「いつでも自分を愛して、自分に正直に、自分らしく居なさい。なぜなら、自分自身を生きることが、あなたの使命だから。 Always Love yourself, Be true to yourself and Be yourself because Being yourself is your CALLING.」

Caned Soup icon「【夢や願いは叶うもの】手に入れるために強く願う必要のあるものなんて何もないんだよ… You don't have to desire anything to make it yours…」

Caned Soup icon「究極の自由; ルールはない、制限もない、限界もない、境界もない、不可能などない、何故なら神様の計画に於いて自分自身を表現する為に私たちみんなが神であるから Ultimate Freedom; No Rules No Restrictions No Limits No Boundaries No Impossibilities because we ALL are divine gods to express ourselves in God's plan.」

Caned Soup icon「あなたは全ての重荷から既に解放されている。神様はいつでもあなたと共に在り、全てを綿密に計画してある。人生はゲームだ。それを最大限に楽しむために、何も恐れずに進んでいきなさい。何であれ自分を幸せにする事をして、それ以外の事は忘れてしまいなさい。 You were already freed from all of your burdens. God is always with you and has everything planned out. Life is a Game …」

Caned Soup icon「結局の所、私達は私達が愛するものを愛するためにここに来た;レースや競争に勝つためではなく…自分自身や自分の愛するものたちを幸せにする為にとお金や他人の評価や評判を稼ぐためでもない… After all, we are here to love what we love; not to win the race…not to earn money or reputation to make yourself or ones you love happy…」

Caned Soup icon「(世界)それは自分を取り巻く水のよう。あなたがその中で動く時、それはあなたの形にフィットするように自身の形を変える… 水(世界)の中では飛ぶ事だってできるという事を忘れないで。(World) It's like water surrounding you. When you move in it it changes its shape to fit you… Remember, you can even fly in the water (World).」




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Patriot Butterfly
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Pastel Butterfly Divider



If you are waiting for a sign. This is it


この言葉があなたに引き寄せられたのは、あなたに力を与えるためだったり、あなたの気持ちを代弁していたり、あなたを支えるためだったり、一瞬にしてあなたの心をパッと明るくするためだったり、あなたに必要なものを示すためだったり、あなたの目を覚ますためだったり、あなたの背中をそっと押すためだったり、あなたの進むべき道を示す指標だったり、この先ずっと寄り添い一生を共に歩むための言葉だったり…と、様々な理由であなたに必要な言葉だったからなのでしょう。ちゃんと理由があってあなたの人生にやってきたこの言葉を是非、大切にして下さい。必要な時に思い出したり、いつも心に留め置いたり、時には声に出して自分に言い聞かせ、言霊として自分の力に変えていって下さいAngel Smily icon


Everything happens for a reason


And pass it on : いつかこの言葉を必要としている人や後進にあなたから伝え、その人の人生を明るく照らす日も有るかも知れませんねgift


この言葉と出逢えた先のあなたの未来に、幸せがいっぱい降り注ぎますように…Smile n Flowers icon



※ 英語のQuote クオートの場合、オリジナルそのままのニュアンスを受け取って欲しいので敢えて訳を付けない事も考えましたが、なるべく多くの人の心に届くようにと思い、日本語訳してもそのものの雰囲気を壊さないと思われるものには日本語訳を付けました。その場合、英語(こちらの場合、私のアメリカ人との生活がベースになっているので訳や感覚的なものは主に米語に類します)の持つ雰囲気や空気感を壊してまで日本の学校で学ぶ英文法のルールや、日本の英語の辞書にある比較的日本的な解釈に忠実に従ってむしろ伝わりにくい直訳のような形にはしたくないので、オリジナルが持つ意味やニュアンスをなるべくそのまま伝えられるように意訳してありますWinking Smily icon



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