お嬢様学校と呼ばれる学校に通って10年間Crazyで華やかで楽しい毎日を過ごし、我ままさせてもらって海外での生活も経験し、何レベルと言っていいのか知らないが、アメリカ人の友人には「Licoと話しているとLicoが日本人である事を忘れてしまう」と言われたり、家族ぐるみの付き合いをしていた隣人のアメリカ人夫婦(当時隣人は全部アメリカ人だが)の家でコーヒーを飲んでいた時に突然、彼らの苗字を発音してみてと言われ、その多くはないけど難しくもない彼らの苗字を発音すると「だろー。Licoは発音できるよな。でも日本人はこれを発音できないんだよ」と言われ、またアメリカ人の元夫と居る時に日本人の店員さんや周囲の人が、会話をしている私たちを見て私もアメリカ人だと認識するのか、私一人になった時に私にまで英語で話しかけてくると言う事が何度となく起こる、というレベルの英会話能力を持ち、資格の意味や実用性なんか認めたくないけど一応、軽く反発する気持ちでオモシロがって思いたって一ヶ月で英検準1級は取ってみたりして(それ以上は試験を受けた事がないし受けるつもりもないけど)、アメリカ人に囲まれて仕事をしていた経験もアメリカ人に囲まれて生活していた経験もあったとしても
「自分には何の魅力も価値もないのだ」
という風に思わされる程、長い人生の中では四面楚歌というか、もうどうにもならない、行き場も行先も何もないように目の前が閉ざされた状態になる事はあるのだ。人生には本当に、絶対もなければ、永遠もないと痛感した。
もう、道はないのだろうか。
親は、自分の子供が「目に入れても痛くない」ほど可愛いはずだ。親は、子供が可愛いからこそ、こうしなさい、ああした方がいい、それはしちゃダメだ、と教えてくれたはずだ。自分が見てきた失敗を、自分のかわいい子供だけはしないように。子供はそれが正しいと信じて、できる限り大好きな親を喜ばせようと、自分の冒険心も、やんちゃして満たしながらも、応えてきた。だったら、親が言ったように「そうしておけば大丈夫」だったはずだし、人生にそんなに大きな失敗は起きなかったはずなんだけど?
自分が親になって立場が逆転して、やはり自分にとっても子供は大切で、私は失敗どころか痛い目にだって自分の子には遭遇してほしくない。自分の親と自分と、自分が人生の中で出会ってきた人達とそれら全ての人々のデータ(それでも人一人のデータなんかたかが知れてるけど)に照らし合わせて、「まぁ、これでいいと思う」という判断をした事を軸にして、子供に「こうしなさい、ああした方がいい、それはしちゃダメだ」と、いつか聞いた事を自分の子供にも言ってきた。
だけど、私自身が暗い穴に落ちた。行く道なんかないみたい。周りなんか見えないくらい真っ暗。何もかも取り上げられたの?何もかもなくなってしまったの?そして、この先も消えてしまったの?
完全に、見失った。
かつて私が子供だった頃、親も世間も価値ある事と言っていた事は、今は何の意味も持たなくなった。かつての大人たちが、信じていたものは、今では立っているのがやっとみたいに弱弱しい。親が子育てしていた時代に、または私が育った時代に、王道とされていたもの、常識と言われてきたもの、世間一般という「ものさし」は折れてしまった。20年経てば、何もかも変るのだと思い知らされた。
大人になってからの私は生まれ育った東京からずっと離れた場所で暮らしていたことも、海外に暮らしていた事もある。そこから学んだ事は、数えきれないほどあり、掛け替えのない素晴らしい愛すべき経験なのだが、その中の一つに、「ものさし」が折れるという経験もあった事を思い出す。場所が変われば、価値観は変わり、どの大学を出ていようと、私がどんな育ちをしていようとそんな事は相手にとって何の意味ももたない場所がある、と言う事を20代の私が味わったのはその時だった。だから知っていたはずなのに、まさか生まれ育った地に帰って来てそれを味わう事になるとは思ってもいなかったのだ。まぁ、経験もあったのだし、予測する事は可能だったかもしれないけど、自分の予想を遥かに超えていたし、毎日という急流の中で何かを急に変える事は不可能に見えるほど難しかった。
様々な呼び名や解釈はあるが「引き寄せの法則」や「潜在意識の働き」と呼ばれるものについて、突き詰めて勉強してみるとこの事と私の出会いは、私が20歳だった時までさかのぼった(当時は引き寄せの法則という名前で聞いたわけではないが)。しかし、その時の私には全くこれを受け入れる余地はなく、自分の判断で避けて通っていた。その後、就職や転職、海外生活や結婚に出産、加えて離婚と様々な経験をした後、人生の何度かの危機の度に、私は引き寄せの法則、潜在意識の働きに出会った。出会っては心惹かれ、力を分けてもらい、日々に背中を押されては手放し、忘れ去りを繰り返した。そんな風に、付いては離れてを繰り返したが、自分の人生に、そして自分自身の中に欠落しているものが、その法則の中にある事は感じていた。自分に必要なものである事も分かっていたから、初めにそれに惹かれた時に、すぐにその法則の概念を自分の子供と分かち合った。自分に欠落したものがあるまま子育てをしてきたのだから、自分が子供に教えてきたことの中に欠落があったのは明確だからだ。子供の為に、「imagine - いつも幸せの図を心に描いて」と描いたプレートを作くり、子供のデスクに飾ってやり、まだ小さかった子供に分かる程度に話して聞かせた。
その「引き寄せの法則」「潜在意識の働き」は、私の目の前に現れるたびに同じ名前だったわけではなく、むしろあたかも別物のような顔をして私の前に帰って来るのだった。だから、今から思えば、出会いは20歳の時で、その後何度か付いたり離れたりしたなどと言えるが、当時は同じ事を繰り返しているという感覚よりも、それぞれに面白く魅力的なものに出会って、その時々で気に入っていたという感じだった。そして、それはまた私が途方に暮れていた時に、別の顔をしてやってきた。
今度はとっても科学的な顔をしてやってきた。またしてもそれに惹かれた私は、半ばヤケクソで我武者羅に無我夢中でそれに齧り付いた。次から次へと本を読み、関連して芋づる式に出てくる情報を手当たり次第に手に入れた。科学的な顔をしていたそれは、ときどきスピリチュアルな顔になり、そうかと思えば心理学の顔に変わったりしながら、結局は私はずっと同じ一つの事に惹かれていたんだという事に気付かされた。
この事を勉強して、様々な事に気付かされ、常識だとされていた間違いを学び、中々手に入ら無かった自分に必要な部分をやっと手に入れることができ、そして、何よりも大きかったのは、世の中がどんなに変わろうと、人が作った「ものさし」が折れようと、自分の思考さえしっかりとあれば、周囲の要素に関係なく自分の幸せを守って、築いていけるという概念。何を失っても、何もなくても、いつからでも、どこからでも、自分の力だけで立ちあがる事ができ、その上、この法則さえ上手に使いこなせれば、今後何も失ったり奪われたりすることはない、というこのメッセージが無限大にどんな人々にも勇気を与えるのだ。
そうした様々な重要な事を学んで、ふと一段落した時に、またあの気持ちが蘇ってきた。「自分が欠落した状態のまま子育てしてきた子供の軌道修正を急いでしなくてはいけない」。自分が読み倒した膨大な数の本や資料を、これは良い事だから読みなさいと言っても子供が読んでくれる訳もなく、でも、子供にも知っておいてほしい、そして私の子育てで間違っていた部分を修正したい一心で、私は自分が勉強してきた事を、子供に分かり易く噛み砕いてまとめ、一冊の本を作った。
その本を書いている間ずっと、「この事を自分がもっと早く知っていたら自分は道に迷わなくて済んだかも知れない」「この事をもっと早く知っていたら子供は私の間違いに振り回されずに済んだだろう」と考えていた。子供のために書いたこの一冊の本は、私の中に数々のアイデアと目標を生みだした。
私はその本を一ヶ月で書きあげて、子供に手渡した。幸い、数年前にもあのプレートを渡していたので、子供にとって真新しい事ではなかった事と、好奇心旺盛な年頃である事も手伝って、無理なく受け入れてもらう事ができ、私が子供の為に書いたその本の事を学校でのスピーチの中で取り上げてもくれた。それどころか子供を取り巻く環境に変化があらわれ、今では子供の方がずっと上手にその法則と共に生きているように見える。それを見るとき、引き寄せの法則と出会って、潜在意識の働きを学んで本当に良かったと思える。
「すべての不幸は未来への踏み台にすぎない」
ソロー
私の人生の中で出会った事象の中で、私がいつかできるなら手を差し伸べたいと思っている、3つのカテゴリーに属する人々がある。ひとつは私が小学生だった頃に出会った光景に端を欲していて、もうひとつは自分が30代に経験し、見て、学んできたことに根差している。そして「子供」というのは、その3つのカテゴリーの中の一つであり、それは当然、自分が子供を授かり子育てという尊い仕事をさせてもらい始めた当初、私の「いつかカテゴリー」に加わったものだ。チャリティーや募金、または事あるごとに文章にして人に伝えたりするなどして、この「いつかカテゴリー」に対して、その時の自分ができる事はなるべくするようにしてきた。でも、ここへ来てその3つのカテゴリーに対して、何をどうやって手を差し伸べたいのか、具体的な方向が見えてきたのだ。今までの私だったら、引き寄せの法則や潜在意識の働きの上で最も避けるべきものである「外的要因」のひとつ - 「常識」と呼ばれるもので考えるなら一人では、これからでは、一人からでは、と様々な理由で「無理」だと判断しただろうが、今の私は今後、生活や自分が生きることや毎日という急流に流されて再びこれを手放すことなく、この3つのカテゴリーの人々に手を差し伸べる事の出来る人になる事が目指す場所となった(今では、当初考えていたものとは少々形が変わってきてはいますが、対象には動物と環境も加わっています)。
「子供」というカテゴリーの中にも「児童虐待」「格差社会」「先行き不安」また更にその先には「恵まれない環境下の子供たち」と言った深刻な問題があるように、私の「いつかカテゴリー」のそれぞれのカテゴリーに属する人々は、できるだけ早く手を差し伸べられる必要があり、私が持てるものを活かす事ができ、私の通り過ぎてきた経験があってこそできる事をそこに見出したから、そこに手を伸ばしたいと、切に思う。
自分のこの夢が叶ったら、一番に会いに行こうと決めている人がいる。この夢が叶った時には、その時こそ、その人に本当の意味で手を差し伸べる事ができる人になっていると思うから。自分が挫けたら、その人に手を差し伸べる事はできない。そう思えば、今の私がたまに不安に思う時があっても乗り越えられる。自分の夢の実現が遅れれば、その人が救われるかも知れないその日も遠のいてしまう。だから、心から
一日でも早く私の手が、必要としている人に届きますように

追記:
夢が叶ったら会いに行こうと決めていた人は、この後しばらく消息が分からなくなってしまっていましたが、彼自身の引き寄せの力と、私を含めた多くの彼の事を応援していた人々の引き寄せにより、想像を絶するであろう苦しい環境・状況からしっかりと抜け出し、2013年に偶然再会しお話しした時には、立派に社会復帰をされ、更に「今度は自分が誰かの助けになれば」と、ボランティア活動まで積極的にされていました


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